10年ぐらい前に突如出てきた「ロハス(LOHAS)」は、地球環境を守るライフスタイルのことだが、地球にやさしくないと肝心の「おいしい生活」が出来ないではないか、ということであり、言い方は悪いが、地球環境を破壊せずに生きながらえさせて消費しようということで
“債務者をパンクさせずに利息ともども借金をぼちぼち返させる方が結局は得だ”
と本質は悪党なのに小賢しく知恵を絞っていることが見えるところが鬱陶しかった。
それは資本主義下での多くの企業が、「自然環境を生かしておいた方が結局儲かる」と踏んだからだ。
それは結局プランナーやコピーライターなどとともに「情報によって消費社会をコントロールしていく」手段に過ぎず、「無農薬野菜を食べよう」とか「オーガニック・コットンのジーンズを穿こう」とか、商品をAからBに変えようみたいなところに終始してしまった。
おかげでファッション系の雑誌は特集ネタが増えたし、街には自然食レストランや自然系化粧品を専門に売る新しい店が出来たが、60〜70年代のヒッピームーブメントのように、散髪屋に行かない男子やスッピンの女子が増えたりはしなかったし、古着屋やリサイクルショップが流行ったという話は聞かなかった。
“ポリティカリーにコレクト”なうさんくささについて
ここ数年、まわりに「糖質制限」している知人が多くなったが、こちらはどうなんだろう。
かれらは声を揃えて「読んでみたら分かるよ」と、出版物を渡してくれる。
京都・高尾病院理事長の江部康二さんによる『主食をやめると健康になる』、夏井睦さんの光文社新書『炭水化物が人類を滅ぼす』。
グルメ誌dancyu特別編集「満腹ダイエット」はムックで、「マンガで分かる肉体改造・糖質制限編」とともに「すぐ読めて面白いから」と貸してくれた。たしかに面白かった。
かれらは江部さんによる『食品別糖質量ハンドブック』を必携している。
わたしは串カツやらカツ丼、インスタントラーメンを好んで食べる「こってり」体質だし、酒に至っては毎日といっていいほどビールと日本酒を嗜んでいる。
「糖質0%」と缶に書かれた発泡酒やチューハイ類には「何だかまずそうだ」と見向きもしないし、ワインに関しても今さら「ビオ」なんて記号にあまり興味がない。
しかし自分自身の健康に目をやると、定期検診では中性脂肪もγ-GTPも「要治療」あるいは「要精密検査」である。
もともとお腹が出ているメタボ気味体型で、パンツのサイズも30代からあまり変化がないが、身体は痛いとこだらけで、顎関節症や五十肩、首筋から背中にかけてはいつも凝り固まっているが、なあに命には別状ない、などと思っている。
ただこのところの糖質制限について「それもアリか」と思っているのは、子供の頃から同じような食および酒生活をしている旧い友人に、「やっぱりアイツもか」といった感じで、糖尿病や肝硬変が何人も出ていることだ。
このところの「糖質制限」の「運動」みたいな動きは、やっぱりアレなのだろうか。
90年代から喧伝されてきた「無農薬農業」「オーガニック」などについては、「木の床、ペンキ塗り壁」な手づくり系カフェレストランがそういった旗をあげて、「今、イケてるでしょう」とマガジンハウス系の女性誌に登場しているのを見て、「何を今ごろ」と思っていた。
わたしは80年代初頭に農学部園芸農学科を卒業したもので、戦後の農薬と化学肥料と農業機械、F1種苗企業に密接に結びついたごりごりの資本主義農政、そして農産物に関しての都市消費者の無知と身勝手さをこの目で見てきたからだ。
冒頭述べた2000年の初頭あたりの日本の「ロハス」「スローフード」といったライフスタイルについての「運動」に関しても、
「ポリティカリーにコレクト」さがまる出しなうさんくさい匂いを直感した。
雑誌や広告代理店、総合商社が商標登録しようとしたことからもわかるように、これはビジネスの手練以外の何ものでもなくゾッとする(あるいはムカつく)。
「ビジネス」のための「地球に優しい運動」というのは、「ビジネス」のための「政治」ではないか。
そう思ってこちらから遠ざかっていた。
要するに「正統な理屈」のものではない、商売上のとりわけファッション軸のうわべだけのチャラいところが我慢ならなかったのだ。
「地球に優しいというなら人類の存在はどうなのか」「有機野菜の定義は」「トマトは伝統的なイタリア食材なのか」という問いに答えるだけ理屈や論理の奥行きがないのだ。
論理が好きな人間は、その論理を聞こう読み取ろうとする。逆にいうと「理屈好き」は「理屈」に弱いところでもある。
「糖質制限」は、その「理屈好き」の弱いところをついてくる。
糖質制限とフランス料理の可能性
500万年の人類の歴史で、穀物を主食としたのはほんの1万年で、糖質摂取は生理的に無理がある。
人類が定住し農耕することで、政治や権力が強靱になった。その基底に炭水化物摂取による食の変容がある。
この2つだけで、生命科学、人類学、歴史学、社会学…から「糖質」について縦横に説き明かすネタがあるのがわかる。
単なる痩せるためのダイエット、病気にならないための健康食ではないし、糖質摂取についての人類史的見地を有機農業やロハスなどと比較すると、それらの理論が脆弱で流行軸的なことがわかる。
わたしは「○×さんの畑のオーガニック野菜」とかを明記して、バンダナを頭に巻いているような料理人がやっている店に行ったりはしないし、やたらと「○×産の蛸で」などと言う板前のにぎる鮨はあまり食べたくないが、それは自分の「嗜好」にほかならないと思っている。
けれども「糖質制限食」に関して、道野正シェフがそれに本気で取り組むと聞いて、何だか面白そうだと思った。
なぜならかれは、15年以上も名声を博していた『ミチノ・ル・トゥールビヨン』を、いきなり内装から店名までを変えて『レザール・サンテ(健康な芸術)』としてリニューアルし、3年後に閉店してしまうという「前科」があるからだ。
「経営的には大失敗だった」というその内容は、「野菜がメインで肉、魚をあしらい程度に」といった、それまで仏料理の体系の逆を行こうとするラジカルなものだった。
80年代にベルナール・ロワゾーの『ラ・コートドール』の全盛時に働き、バターやクリームはもちろんフォン(ダシ)すらつかわない「キュイジーヌ・ナチュール」の最先端コース「フェット・ド・レギューム(野菜のお祭り)」を直に経験した道野氏ならではの「身体にいい料理」を全面に掲げた本気の発想だったが、その企図は的を射なかったのだ。
「フランス料理を否定しようとするフランス料理は異端過ぎた」
これに尽きたのだ。
けれども糖質制限は、カロリーベースではなく、米や小麦、イモやニンジンなどの根菜を使わないだけで、肉や魚のタンパク質や脂質は制限なし。そして仏料理はもともと和食や中華料理のように「加糖しない」。ワインもオッケーだ。
米や日本酒がない和食は考えられないが、イタリア料理のようにパスタもない。パンとデザートの小麦粉、砂糖だけを「何とかすればいい」。
糖質制限食に関して「これはフランス料理こそが可能」という道野正シェフのブログで、関西で名を馳せる神戸のブーランジェリー『サマーシュ』の西川功晃シェフに教えを請い、ついに思っていた大豆パンを完成したということを知り、『ミチノ・ル・トゥールビヨン』の「糖質制限コース」を「行って食べてみよう」と思ったのだ。
そのコースの詳細は次回に。
※江弘毅さんのスペシャルな記事『いい店にめぐり逢うために知っておきたいこと』はこちら
ミチノ・ル・トゥールビヨン
- 電話番号
- 06-6451-6566
- 営業時間
- 12:00~15:00 (L.O.13:30)、ディナー 18:00~23:00 (L.O.21:00)
- 定休日
- 定休日 月曜(祝日の場合は火曜休)
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