おだやかな近江牛と力強いジビーフを肉焼き名人の店・イルジョットにて食べ比べ

【連載】マッキー牧元の「ある一週間」 第34週  日本を代表する食道楽の一人、マッキー牧元さん。彼はどんなものを食べて一週間を過ごしているのか。「教えていいよ」という部分だけを少しのぞき見させていただく。

Summary
1.牛、鶏、、、内臓肉の恐るべき旨さ
2.レフェルヴェソンスでいただく素材の力
3.脇屋シェフによる上海料理の真髄

4月3日「牛カイノミ食べ比べ」

カイノミが好きだ。
ヒレ肉のような繊細な食感と品がありながら、内臓のたくましさが漂う。
優美な中に猥褻を隠し持ったような色気があって、惹かれてしまう。
貴婦人と娼婦の二面性と言いましょうか、牛という動物の神秘に、味覚倒錯をしている風情があって、妙にコーフンさせられるのであります。
さてこの間、駒沢の「イルジョット」にて、まるさん牧場の近江牛と駒ヶ谷牧場のジビーフを食べ比べるという幸運に恵まれた。

写真向かって左側がジビーフ、右側が近江牛である。
近江牛は、今まで知ったるカイノミで、少し噛んだだけで溶けていくような、優しい繊維のなかに甘みがあって、草のような内臓の香りが抜けていく。
一方ジビーフは固い。
いや、実際は柔らかいのだが、近江牛の歯を抱きかかえながらほどけていくような柔らかさではない。
歯をがっしりと掴み、「噛んで」つぶやく柔らかさなのである。
そしてこちらの方が草の香りが強い。
近江牛が、山の手の洋館で育った色白のお嬢さんだとしたら、ジビーフは、毎日野山をかけ巡って遊んだ、日焼けしたお嬢さんである。
どちらも健やかながら、色気が違う。
肉焼きの名手、高橋シェフの仕事だからこそ成し遂げた味である。
しかし互いの個性は知っていたつもりだけど、カイノミで改めて違いの大きさを感じた。
ちなみに僕は、どちらにも惚れてまう。

4月11日一軒目「内臓を食べるということ」

人はなぜ、豚や牛の鳥の内臓が好きなのだろう。
そして人はなぜ、嫌いなのだろう。
味や香りといえば、新鮮な内臓ほど淡い味わいであり、香りである。
これより濃く、食欲喚起力の強い風味はたくさんある。
胃袋を鳴らし、食欲を鷲掴みするたくましさは、ない。
食感だろうか?

コリッ、シコッ、くにゃり。
様々な食感が歯を喜ばすが、これとて内臓だけの特権ではない。
思うに内臓を食べているという、その行為への喜びが左右するのではないだろうか。
他の命を食らって自らの命を紡いでいるという、根源的な「食べる」という欲が、我々をコーフンさせるのではないだろうか。

鳥茂」で、いつものように酒巻さんの焼く見事なシロやテッポウを食べ、コブ刺しやホーデンを食べながら、考えた。

4月11日二軒目「アスパラガスの力」

グリーンアスパラに生ハムが合わせてあると、おや? と思うときがある。
生ハムが加わって、皿全体のうま味は増しているのだが、生ハムの味が勝ちすぎていて、アスパラが影になっているような印象を受けるときである。
つまりアスパラギン酸よりイノシン酸が勝ちというときだね。
しかしこの料理は違った。

アスパラに、桜肉と桜海老という、春の風情を漂わせる食材が合わされている。
アスパラは細いし、桜肉のうま味と桜海老の香りに負けないのだろうか? と最初は思った。
しかし、このアスパラが、なんともたくましい。
沖縄で、無農薬無肥料で作られたというアスパラは、自らだけの養分で天に向かっていた、誠の力が宿っている。
甘みというより、旨みが濃く、香りも複雑で高い。
それゆえに桜肉や桜海老と出逢うと、互いの滋味が響き合い、高みへと登っていく。
エネルギーが皿の内へ内へと向かい、食べることによってうま味の天上へと昇華していくようなコーフンがある。
まさに春を、命をいただく希少な瞬間がある。

L’Effervescence

住所
東京都港区西麻布2-26-4 HOWA西麻布1F
電話番号
050-5492-9191
営業時間
ランチ 11:30~16:00
(L.O.13:00)
ディナー 17:30~23:30
(L.O.20:00)
定休日:月曜日・日曜日
ぐるなび
ぐるなびページhttps://r.gnavi.co.jp/6a7366fy0000/

※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。

4月14日「真の上海料理とは?」

愛に満ちた優しさは、静かでありながら、心の底に深い記憶を残す。
真の上海料理は、そんな気配を持って、僕らを魅了した。
「正宗上海料理を作っていただけませんか?」
脇屋さんは満面の笑みを浮かべて、「いいですねえ」と、言葉を弾ませてくれた。
前菜からして、素朴ながらしみじみとうまい皿が並ぶ。

鴨に見立てて湯葉で筍や椎茸を巻いて、ゆっくりと煮付けた「素鴨」は、味わいが穏やかで、じっとりと味が舌に広がっていく。鳥のスープでそら豆を茹でて、オタマの底で潰して、そのまま鳥のゼラチン質と豆の力で固めた「豆板羹」は、噛んだ瞬間にほろりと崩れ、そら豆の甘い香りが鼻に抜けて、顔が崩れる。

筍を、ザーサイと干しエビの塩気で炒めた料理は、その塩気が精妙で、筍の拙い甘みを伝えくる。
烤麸は、よく出逢うゴワゴワとした食感ではなく、ふわりと柔らかく、噛めば椎茸の旨みを伴った煮汁がちゅるると滲み出て、心をくすぐる。

酔っ払い鶏は、ああ、なんと優しいのだろう。淡い淡い味付けで、紹興酒と鶏肉の滋味が自然に抱き合った、いつまでも舌の上にいてほしいと願う、不思議がある。
そして牛肉のエキスをそのまま固めた品格が漂う、煮こごりに押し黙る。
戻し、味付けなしで煮込んだこの煮こごりは、酒を呼ぶ。

「薫魚」は鯉の角切りを、八角、肉桂、陳皮、山椒を入れた煮汁を煮立てた熱々の汁に漬け込んだ料理である。
真っ黒な醤油色ながら、その味は表面だけで、複雑な香りを広げながら、鯉が「どうですか?」と尋ねるように、穏やかな甘みを広げていく。

これが、後10皿が続く上海料理の、ほんの幕開けである。
赤坂「Turandot 臥龍居」にて。