“ちゃんとした”寿司屋はなぜ値段を書いていないのかという常識がわからない輩は旨いものにはありつけない

【店づきあいの倫理学】店は生きものであり「おいしさ」や「楽しさ」は数値化できない。だから顔の見えない他者からの情報「評価」を比較して店や食べるメニューを決めたりすることは無効だ。その店だけの「固有の身体感覚」のようなものがあり、その場その時の「代替不可能な店側/客側のコミュニケーション」が、その店の真価を決定づけている。「店と客の関係性」をもとに「よりおいしく食べるための店づきあい」の方法とは?

Summary
1.食べ物はインターネットで最安値を調べて買うような工業製品なのか?
2.視覚と値段が分けられることなく同時に認識してしまうことの問題
3.店と相思相愛の関係になれる客について

新聞社や大手広告代理店、さまざまな大企業の本社があるオフィス街で仕事をしているが、ランチ動向を見ていてある方向性が強くなってきたと思う。

ひとつはコンビニ弁当やパン類、飲食店のテイクアウト。
路上にパラソルを建てた露店や道路の路肩にクルマを止めた移動販売の弁当も強い。

コンビニのおにぎりとカップヌードルの新製品「チリトマトヌードル」の組合せというのは確かに便利だし、路上販売の唐揚げ弁当やオムライスの味噌汁付きランチは松屋や吉牛に比べて満足感がある。

けれども大都市で働く世のサラリーマン、OLたちの本音は「ランチにそれほど求めない」というところだ。それほど求めない、というのは微妙にみえるが、実は値段直結型のランチである。

オフィス街正午前後にはセブンイレブンやローソンのレジ前に、会社のIDカードを首から吊したままのサラリーマンや財布だけ手にしたOLが列をつくっているし、歩道に和・洋・中それぞれの弁当、パン屋の路上販売が軒を並べている一角があって活気づいている。

おもしろいのは午後1時を過ぎると、路店の弁当が「タイムサービス」とばかりに「トンカツ弁当380円!」とセール価格になって、それを狙って来ているのか着丈が短いぴたぴたスーツに襟高ボタンダウンの広告代理店系マンが買っている。

もちろん安くて得なものを買うのが悪いと言ってるのではないし、ユニクロの下着はやめとけと言っているわけではない(件のビジネスマンはそうではなくビームスあたりか)。
ただデパ地下やスーパーの閉店間際にわざわざ行って、「半額」シールに貼り直された食材を買って帰る「賢い主婦」みたいな気がして、「それは違うやろ」と思ったからだ。
お目当ての鯖の煮付け定食やどうしても週1回食べたくなる名物カレーがあって、けれども並びたくないから1時過ぎに行く、というのとはまったく違った志向性だ。

ランチにしろディナーにしろ、料理つまり食べ物は価格.comでデジカメを最安値で買うのとは違う。

忙しくて時間もゆっくりとれない時に「今日はどこに行こうか」「何を食べようか」と悩むことははなはだ厄介なところがあり、「そこそこでいいわ」と思うことが確かにある。
けれども「ランチにそれほど求めない」をコストパフォーマンス、それも地域最安値的なものや、ワンコインなどといった物指しで査定するというスタンスを取り始めると、食べることに関してどんどん負のスパイラルに陥る。

おいしいと値段はリンクしないというのは誰もがわかっていることだ。

この記事にはまだ続きがあります

今すぐ続きを読む

すべて読むには、ぐるなびプレミアム会員登録が必要です