2016年最注目店! 『ジョエル・ロブション』とともに歩んだ渡辺雄一郎シェフが開けた新たなる世界

高橋綾子

Summary
1.21年間勤めた『ジョエル・ロブション』を離れたシェフの新境地
2.食材、器、道具、地域伝統文化とフランス料理の融合とは?
3.厨房に潜入! 食通をも唸らす料理はこうして作られる!

フランス料理に人生を捧げたシェフの創る新しい世界

料理の道に入って28年、日本におけるフランス料理の最高峰『シャトーレストラン ジョエル・ロブション』に21年間勤め、そのエグゼクティブシェフとなって11年、「ミシュランガイド東京」の初年度版で3つ星を獲得、その後9年間その星を守り続けた渡辺雄一郎氏。その輝かしいキャリアにピリオドを打ち自身の店を台東区駒形にオープンした。その名は『Nabeno-Ism(ナベノ-イズム)』。

ランチ、ディナーともにコースはおまかせのみ。テーブルに置かれたメニューには「浅草」、「両国」、「京都」、「日本伝統野菜」など、およそフランス料理には出てこないであろう単語がちらほら。ショープレートも家紋をデフォルメした石と木板。シェフの前職をイメージして訪れた人はさぞかし驚かれることだろう。そのことをシェフに訊くと、和の要素を取り入れたといってもいたずらにいじるつもりはなく、味の核はすべてフランス料理。そのうえでゲストが何を求めているかを常に考えており、流行にはものすごくアンテナを張り巡らせているとのこと。そう、シェフが開けた扉は“地域伝統文化とフランス料理との融合”という新たな世界であった。

それを象徴するのがこのそばがきだ。両国江戸蕎麦『ほそ川』の蕎麦粉をベシャメルソースの技法で炊き上げ、『奥井海生堂』の蔵囲い2年物昆布のジュレを張って、ウォッカクリーム、おろしたてワサビ、そしてキャビアをのせる。香り高い蕎麦粉で作ったそばがきはこの上なくなめらかで、本当にソースのようだ。昆布のうまみとキャビアの塩気がそばがきの甘みを引きたたせる。なんと上品で優雅な味なのだろう。古くから食されてきたそばがきがれっきとしたフランス料理となった。フランス料理とともに生き、巨匠ジョエル・ロブション氏から絶大なる信頼を得た今までの人生、そして浅草に拠点を移したこれからの想いがこのひと皿に表現されている。

店のブランドカラーである黒、白、オレンジでまとめ『ナベノ-イズム』のシグネチャーとなった。ロブション氏の「ジュレ・ド・キャビア」のように渡辺雄一郎氏の「La farine de Sarrasin(蕎麦粉)」が世界へと羽ばたく日も遠くないはずだ。

日本の伝統文化の野菜とフランス伝統食材の鳩とのマリアージュ。ショーフロア(一度加熱したものを冷やし、出た煮汁でゼリーを作りコーティングする)というフランス料理の代表的な料理をイメージした。野性味が少なく優しい味のブレス産の鳩にあわせたのは京都の山科茄子。同じ大きさにカットしたのは一緒に味わってほしいから。香りづけには新生姜とライムのジュレ、さらに新生姜のしぼり汁をプラスしている。添えたパテは鳩の内臓、心臓、ガラ、手羽、足先、頭、首づる、フランス料理ならではの鳩一羽を丸ごと使い切るというわけだ。これは憧れ続けているフェルナン・ポワン氏の「つぐみのパテ」へのオマージュである。

特筆すべきは「nabeno-epice」。創業400年、浅草仲見世の『やげん堀』で山椒、陳皮、芥子の実をオリジナルの配合で作った挽きたてのスパイスだ。どれもがたたみかけるように口の中で次々と押し寄せ、その香りと刺激を余韻に残す。殊に陳皮が絡むと穏やかな鳩が生き生きとするのがわかる。
この皿はまるでテリーヌのようだ。鳩、バテ、ショーフロア、新生姜、nabeno-epice、ライム、それぞれ存在感があるのにひとつの料理としてそのおいしさが成立しているのがすごい。

メインには浅草で100年以上続く老舗の入山煎餅を使った熱々のグラタンが添えられている。店内でひたすら職人が焼くのは醤油味の煎餅一種類のみ。それをクランブルにしてしまう。セルクルで丸くしたカボチャのピュレの中には生ハムで包まれたローズマリーのバターが入っていて、ナイフを入れるとフォンダンショコラのように流れ出る。下にはバニラオイルとカルダモンを引き掻き、エキゾチックな香りを醸し出した。入山煎餅のクリスプ感と醤油の香りがたまらない。

皿のところどころにはかぼちゃの種とバターナッツかぼちゃの素揚げ、フィザリス(ほおずき)、最近見つけたという食感が素晴らしいシチリア島のケッパー、ゆでた生ピーナッツが散りばめられ、これらすべてがコンディモン(薬味)なのだ。フランス料理の美しさがここに表れる。

ソースは豚のジュ。脂身とスジを炒めカリカリになったらニンニクとローズマリーを入れ、純米酒とマデラ酒でデグラッセ(鍋に付いた肉汁を溶かす)する。フォンドヴォーを加え煮詰め、漉してから黒胡椒を入れて、焦がしバターを入れジュ・トランシェ(分離)状態にした。

豚は岩手のハーブ豚。良質な肉は焼くだけでも十分だが、シェフはさらに1%の塩とスパイスを入れ真空にして1日なじませ塩漬けしてから加熱する。塩の力で一度たんぱく質を“ハム化”させるというのだ。シェフの造語だが至極イメージできる。大事にしたのは肉の歯切れ。この厚みでハムの歯切れと仔牛のような味を持つその肉質に誰もが目を見張ることだろう。燻製にした肉は64℃で1時間火を入れ表面だけを香ばしく焼きあげる。

シェフは肉の置き方にもこだわりをもつ。切った時にコンディモンが均等にのるように、脂身は最後に食べられるようと細いとこにまで“渡辺イズム”が光るのである。煎餅がアクションを起こす秋の味覚が集結したひと皿。

いちばん最後に口にするのが小菓子とコーヒー。グランデセールまでがコースだという考えもあるがシェフは違う。ここにも浅草の心が宿っている。まずは浅草『小桜』の「かりんとう」を使ったチョコのヌガー。ヌガーといえばナッツやドライフルーツを入れてウエハースでサンドしたものだが、こちらはきな粉と黒糖のかりんとうのみで作っている。チョコレートのやわらかくほんのりとした甘み、かりんとうのテクスチャーが面白い。

マカロンは浅草寺の裏にある抹茶のジェラートで有名な『壽々喜園』の抹茶を使ったクリームを挟んだ。こんなに小さくても奥深い味わいと濃厚さを感じさせてくれるのはさすがである。

もうひとつは浅草『千葉屋』の「大学芋」を購入して牛乳と生クリームとシナモンで味を整え、キャラメルとゴマをイメージしたチュイールではさんだ。噛む必要がないほどのサクっとしたチュイールがこわれると、なめらかなサツマイモのクリームが顔をだし、そのまま口の中いっぱいに広がる。ひと口の幸せを感じたこの瞬間を忘れることはないだろう。

コーヒーは台東区日本堤『カフェ・バッハ』の豆。コーヒー界のレジェンドと呼ばれる田口 護氏と妻の文子さんの店で50年近く人々に愛され、コーヒーが作る「人と人の豊かな関わり」を大切にしている。自家焙煎の新鮮な豆で淹れるコーヒーの芳醇な香りとバランスの良い風味に癒される。

浅草近辺の食材を使ったアミューズ・ブーシュで始まり、フランス各地を経て、浅草駒形の小菓子とコーヒーで終わる物語は驚きと感動、そして伝統の重みと食の可能性を与えてくれた。
ひとつひとつは和の要素なのにこれは間違いなくフランス料理なのである。この不思議な現象が食べたものを虜にしてしまうのだ。

伝統と革新、渡辺シェフの“イズム”があふれだす

隅田川のほとり、スカイツリーが一望できる最高のロケーションに『ナベノ-イズム』がある。幼少の頃から母親に連れられて浅草の美味しいものを食べてきた。そのせいか空気が体に馴染むそうだ。そこに自身の店を出すことに決まり、目指すべき道が固まった。

1Fは厨房、2Fと3Fは趣の異なるダイニング、そして4Fはくつろぎのスペース。ここで渡辺シェフの流儀は繰り広げられている。

オープン時にはフランス料理の最高峰にいながら和の要素を取り入れたことにアレルギー反応を示す声もあった。渡辺シェフは「本来、フランス料理はフランスでフランスの食材を使ってフランス人が作るもの。だから日本で日本の食材を使うのは至極当然のことだと思った。地産地消、この地のもので今まで学んだことすべてを表す、それがこれからの使命だと感じた。30年間フランス料理を勉強したからといって日本人である自分がアレンジして本質を捻じ曲げることはできない」と言う。正しいフランス料理があってこそ派生がある。だからここでふるまわれる料理は決してフランス料理としての軸がぶれることはない。テラスにフランス国旗を掲げている意味はここにある。

厨房で目の当たりにした“食材が生きる”料理とは?

シグネチャーのそばがきを作る過程を見ることができた。まず驚いたのは香り高い蕎麦粉。シェフがこの食材に魅了されたのが理解できる。ダマにならないように丁寧に水で練り、火にかける。主役である蕎麦粉の味と香りを損なわないように熱伝導のよい銅鍋と火力が強いフランス料理伝統のプラック、そしてシリコンコーティングのホイッパーを使う。「これがそばがきの三種の神器です」とシェフ。

プラックの前に立っているだけで顔が焼けそうなほど強い火力で一気に炊き上げ、乳化現象を作るため1cm角に切ったバター7〜8個をひとつずつ入れる。さらに煮たあと漉して25gずつ器に分け空気を抜き冷蔵庫へ。これを毎日繰り返すわけだが、蕎麦粉、温度、湿度、量、塩分のデータを取り常に最高の味になるように管理が徹底されている。正直、ここまでしなくてもシェフの腕ならおいしく作れるのでは、と思うのだが食材にとことん向きあわなければ最大限に生かした料理になりえないのであろう。これが『ジョエル・ロブション』を支えてきた証なのだと感じた。

余計なものは一切なく常に美しく片付けられた厨房では罵声が飛ぶことがない。シェフは「器、準備してある?」「これもお願いね」とむしろ優しく穏やかな声だ。取材だから?とも思ったが厨房は1Fにあり誰もが見ることができるのでおそらく普段もこうなのだろう。

怒鳴られないのはなぜか、それは常にシェフの行動を先回りしてスタッフが完璧に準備してあるからだ。シェフは定位置に立ち、盛り付けに集中できる。そのチームワークによって渡辺シェフの料理は完璧な形となりゲストの舌を喜ばせてくれるのである。

NABENO-ISMのNを取るとABENO-ISMになる。辻調理師専門学校の本拠地は大阪阿倍野。渡辺シェフにとっての原点だ。いつか自分の店を持った時には感謝の気持ちを忘れないためにABENOを名前に入れたいと思っていたと言う。28年前の卒業式で掲げたマニフェストは3つ。30歳でシェフになる、大きな組織の要職に就く、辻調理師専門学校の教壇に立つことである。すべてを成し遂げ創立者辻静雄校長の眠る浅草の地で、シェフが創る唯一無二の世界に食通たちが魅了されるに違いない。


(メニュー)
Koma-Gata(ランチコース)/10,000円
Nabeno-Ism(ディナーコース)/20,000円
※すべて税込

レストラン ナベノ イズム

住所
〒111-0043 東京都台東区駒形2-1-17
電話番号
050-5783-6915
営業時間
火~日 ランチ:12:00~15:00(L.O.13:30) 火~土 ディナー:18:00~23:00(L.O.21:00)
定休日:定休日 月曜日、第4火曜日、日曜ディナー
ぐるなび
ぐるなびページhttps://r.gnavi.co.jp/nzd9mduw0000/
公式サイト
公式ページhttp://nabeno-ism.tokyo

※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。