身も心もとろけるようなウマさ! “昭和”の正統派焼肉店、横浜・関内『焼肉みらく』は弁当まで絶品だった
クレイジーケンバンドのギターにして、その食情報の確かさで多くのグルメなファンも持つ、小野瀬雅生さん。彼の愛する店、どうしても食べたくなる料理を教えていただく。
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- Summary
- 1.小野瀬さんが音楽スタジオでのバイト時代に給料日だけの唯一の贅沢だった焼肉弁当
2.オススメのヒレ肉は身も心もとろけるようなウマさ
3.立ち上る煙が昭和からの正統派焼肉店らしさ
若い頃にアルバイトは色々とやりました。大学には浪人せずに入学したものの、とにかく学校と云うのが大嫌いで全然通わなくなって2年で除籍。どうしても音楽で身を立てたかったのですが、なかなか上手くいかずにバイトを転々とする20代を過ごしました。そんなバイト人生の最初の方にやっていたのが横浜は関内にありましたスタジオ24と云う音楽練習スタジオの受付係。今からもう35年くらい前のお話。今もあるスタジオですが場所も違って経営も替わっていると思います。
その名の通り24時間営業のスタジオでしたから、常に受付係はいなければなりません。お客がいなくても昼夜を問わずスタンバイ。8時間勤務を1日3交代制で回しておりましたが、時にはシフトがうまく組めずに8時間をダブルで16時間勤務なんてこともありました。今ならブラック云々と呼ばれそうですが、その頃はそんなの当たり前の朝飯前。16時間勤務の後にバトンタッチするはずのヤツがバックれてスタジオに来ずにそのまま次の時間帯に突入して、それが明けたと思ったら次は自分のシフトだったなんてこともありました。
ある焼肉店の想い出
成人式の日もスタジオで受付バイト。でも空き時間には思う存分ギターの練習が出来たし、当時のお客さんから色々な音楽を教えてもらえました。エイジアも、スティーヴィー・レイ・ヴォーンも、アラン・ホールズワースも、スティーヴ・ヴァイも、その頃に初めて聴いたり教えてもらったりしたものです。とにかく毎日音楽漬け。自分にとって貴重な時期でした。バイトで得た給料は楽器や機材やレコードを買うので殆ど大半が消滅。後の残りはほぼ煙草代。他のことには殆ど使いませんでしたが、一つだけ、給料日だけの贅沢をしておりました。
そのスタジオのすぐ近くにありましたのが『焼肉みらく』と云う焼肉屋さん。今も当時のままの佇まい(ホントに変わってない)で営業されております。ちなみに並びには林家木久蔵(現在:木久扇)さんが経営されていた『木久ちゃんラーメン』がありました。食べたことないですけど。
世の中にこんなにウマイものがあるのか!
ある時スタジオのオーナーのご機嫌が良かったのか『焼肉みらく』の焼肉弁当を振る舞ってくれたことがありました。これがとってもウマかった。魂の奥底にまでゴーンと響くくらいのウマさ。ご飯の上にタレたっぷりの焼肉が乗っていて、肉もモチロンですがタレの沁みたご飯がべらぼうにウマイのなんの。そしてこのお弁当で初体験だったのがナムル。こんなにウマイモノが世の中にはあるのだなとビックリしたのを覚えています。それ以来給料日にはこの焼肉弁当を食べるのが習わしとなりました。バイトを辞めるまで何年か続いた毎月一度の焼肉弁当。これをもう一度食べてみたくなって、10数年ぶりに『焼肉みらく』に行って参りました。
ただお弁当を作ってもらうだけなのも何なので、やっぱり焼きましょう、肉を。このお店の筆頭メニューはヒレ。これが結構な値段がします。でも昔から高かったんです。焼肉は贅沢の代名詞でした。でももうイイ大人なんだからビビらず食うぞ。ヒレはもう身も心もとろけるようなウマさ。やわらかく艶めかしい。たまりませんわん。タン塩もレバーもウマイ。昨今のボリュームで攻める感じではなく、昭和の時代のしおらしさを戴く。ボリュームもしおらしさもどっちも好きですけどね。はっはっは。
懐かしの焼肉弁当をもう一度
さあ、お弁当が来ましたよ。おおっ、本当に当時のままの佇まいでビックリ仰天。これですこれです、ワタシが月に一度食べていたお弁当は。お肉はロースです。あまりにも簡単に眼前にホンモノが出現して感無量。味も本気で同じ。様々な思い出が蘇るかと思いきや、これから先の元気が強烈にチャージされた感アリ。ノスタルジーよりもウマウマウー。まだまだ人生序盤戦のつもりでこれからもがんばります。美味しかったです! 御馳走様でした!
焼肉みらく
- 電話番号
- 045-251-1530
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。
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