立ち呑み革命は鉄板から始まる、最強のアテは広島生まれのソウルフード
【連載】幸食のすゝめ #057 食べることは大好きだが、美食家とは呼ばれたくない。僕らは街に食に幸せの居場所を探す。身体の一つひとつは、あの時のひと皿、忘れられない友と交わした、大切な一杯でできている。そんな幸食をお薦めしたい。
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- 1. 高円寺では意外に見つからない、昼から飲める立ち呑み屋
2. 子どもの頃から慣れ親しんだソウルフード「広島お好み焼き」への情熱
3.「お好み焼きで一杯!」安くてうまいアテ満載の呑んべいパラダイス
幸食のすゝめ#057、鉄板の熱には幸いが住む、高円寺
「今日はどこ寄って来たの?」、「いや、ウチ呑みしてて、3時半になったからココに来たの」。
2017年8月にオープンした立ち呑み屋には、開店時間と共に呑んべいたちが押し寄せる。
店主のおじゃんこと小島真史さんが、有名なセンベロ店『晩杯屋』の出身だという事実。そして、意外にも高円寺には少なかった、昼から飲める立ち呑み屋だということ。
何よりも広島お好み焼きの立ち呑みというユニークな個性が、呑んべいたちの話題を集めている。
真新しい鉄板付きのカウンターが伸びた店内は、おじゃん1人のワンオペレーション。しかも、午後の3時半から深夜の1時までおいしい広島お好み焼きが食べられる至福。サイドメニューのほとんどが100円代から200円代、テキパキとした接客と素早い調理は8年間の『晩杯屋』生活で鍛えられている。
同じく高円寺の『きど藤』、武蔵小山の『長平』に続いて、最後の独立組になったおじゃん。元々、弁当屋や大手居酒屋チェーンなどで飲食全般の経験はあった。
しかし、自宅に業務用の鉄板を買って独学する程、広島お好み焼きには特別な愛情を注いでいた。
「いつか、立ち飲みのお好み焼き屋をやろう!」、そればかりを考えて走り続けた。
エネルギーに溢れた20年以上続く有名ミクスチャーロックバンドのボーカルとして活躍しながら、どんどん巨大化していく前店の激務に立ち向かう時、いつも頭の中には、そばと肉玉の広島お好み焼きがあった。
広島市中区で生まれたおじゃんにとって、お好み焼きはおやつであり、食事。
広島っ子のソウルフードは、バンドの強烈なグルーヴと同じように、いつかおじゃんの骨肉になっていた。
かつて原爆投下の中心地、相生通りを含む中区には、たくさんのお好み焼き屋があった。
「家から1分とか2分のところに、何軒もお好み焼いてるおばちゃんとこがあって、ガキの頃からみんな、自分の行きつけを持ってた」。
店の名前に「◯◯ちゃん」というネーミングが多いのは、店主の名前がそのまま屋号になっているからだ。
おばちゃんたちの多くは、原爆を含む戦争未亡人たちだった。そこいらにゴロゴロしていた鉄板を使って、進駐軍支給の安価なメリケン粉(小麦粉)を使って焼き始める。
途中、高価なネギはキャベツに変わり、ボリュームアップするため中華麺が加えられた。
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