庶民たちの娯楽の頂点、花見文化の発祥地「王子」。時を越え、江戸の昔から受け継がれる行楽と食の里

【幸食秘宝館】#015 グルメサイトでもなかなか表れない、本当は教えたくない至福の隠れ家。街をさすらい、街に愛された賢人だけが知っている、店選びの黄金律。人気のレビューでは辿り着けない、「幸食の秘宝」そっと教えます。

Summary
1.江戸幕府の時代に完成した人工の楽園「王子」で長く愛され続ける古典酒場3軒
2.いにしえの花見には欠かせなかった料理とおでんで、昼間から楽しめるせんべろ
3.朝酒から定食まで揃う昭和食堂と、強炭酸酎ハイのうまさに酔いしれる古典酒場

#015 庶民たちの夢が咲き誇る街、王子

激しい熱意と郷愁の果てに、人工の楽園を作った男がいた。
時は1716年、男の名は徳川吉宗、世に名高い享保の改革の中心人物だ。徳川御三家の1つである紀州徳川家から、江戸幕府8代将軍に迎えられた彼は、現代にも通じる多くの施設や制度を作った。
そして、その多くが庶民たちに向けられたものだった。米将軍というニックネームで親しまれ、後には時代劇「暴れん坊将軍」のモデルにもなり、今日まで高い人気をキープしているのは、彼が残した画期的な事業に根ざしている。

まず将軍自ら、庶民の声を聞くために「目安箱」を設置、開かれた幕府の始まりだ。
さらに、庶民たちに分かりやすい裁判と処罰を取入れるための、「公事方御定書(くじかたおさだめがき)」を設定。
庶民たちが安心して医療サービスを受けられるよう、無料の入院施設である「小石川養生所」も作った。
中でも画期的なものは、庶民たちの娯楽施設として、桜の群落地を作ったことだ。

本来、日本で花と言えば、中国の影響のもと梅を指していた。花の代名詞が桜に変わって行くのは平安時代からで、列島各地に少しずつ桜の名所が誕生する。しかし、江戸初期までの桜の名所では、1本木の桜を観賞するのが主流であり、群落する桜の下で庶民たちが遊ぶという光景は見られなかった。
また、群落地自体も、わずかに上野を数えるのみ。上野は寛永寺の境内であり庶民に開放されてはいたものの、歌舞音曲は禁止、時間も日中に限られていた。
ところが1720年に、吉宗が江戸城吹上で育てられた270本の苗木を王子・飛鳥山に植栽、翌年にはさらに1,000本の桜を植えて人工の楽園を完成。庶民最大の娯楽、花見の誕生である。

上野から北に連続する武蔵野台地の北端にある飛鳥山は、鎌倉時代後期、豊島氏の支配当時に紀州和歌山熊野より勧請した飛鳥明神、王子権現にその名を由来している。
鷹狩で幾度も飛鳥山を訪ねていた吉宗は、武蔵野台地と石神井川が作る景勝地に自身の故郷を重ね、熱い郷愁の果てに、人工の桜の名所を完成させたのかもしれない。

当時、花見のご馳走と言えば、蒲鉾と卵焼き。庶民たちは、当時は高嶺の花だった蒲鉾を大根に、卵焼きを沢庵に見立てて夜桜見物。周辺には、多くの娯楽施設が軒を並べるようになる。
近代には製紙工場や印刷工場が建設され、王子は庶民たちの眠らないパラダイスの様相を呈する。江戸から続く庶民たちの娯楽の殿堂、王子。

今も変わらない庶民たちの温かさと夢に出会う、魅惑の3店をご紹介しよう。
いずれ劣らぬ歴史を持ちながら、敷居も低く大衆的、王子の魅力にはまる心優しきラインナップだ。

かつての花見の主役、蒲鉾と卵焼きで昼間から楽しめるせんべろ。
朝酒に酔いしれ、旬の味覚に出会う、高度成長期からの名食堂。
焼酎と強炭酸の泡に人生の悲哀を忘れる、凛とした古典酒場。


さて、そろそろ時代を越えた行楽の里、王子の街に繰り出そう。

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