ひと皿のカレーライスに込めた想い。学芸大学『さいとう屋/子ども食堂』齋藤功さんの本懐
【連載】vs.corona時代の飲食の明日へ#005 ある時は喜びを2倍に、ある時は悲しみを半分にしてくれたもの。それはいつでも、おいしい食や酒だった。「おいしい食で目の前の人を喜ばせる」ことを意義としていた料理人は、変わりゆくテーブルの風景に何を想うのか。“食”の明日に向かってアクションを続ける人たちの声を訊く。
- レストラン
- 祐天寺・学芸大・都立大
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- Summary
- 1.学芸大学の名酒場『さいとう屋』が始めた、「子ども食堂」という新しい試み
2.店休日を返上して営業。地域の子どもたちのために「辛さ控えめの特製カレー」を提供
3.未就学児はタダ、小学生は100円、お子様連れの大人は400円の愛情価格
ウイルスがあぶり出した「黒字の絵」
まだカセットコンロがなかった頃、客間の壁にはガス栓が付いていたが、ほとんどの煮物や餅焼きには、火鉢が活躍した。
おばあちゃんと火鉢を囲み、近くの山で育てられた蜜柑(みかん)の房を搾って、書き損じた半紙や画用紙に指や筆で文字や思い思いの絵を描く。乾いてから火鉢にかざすと、魔法みたいに、さっきの1コマが再現された。
幼い頃の我が家の風景は、今も記憶の中でくっきりと幸せな場面をあぶり出してくれる。
しかし、この季節にウイルスがあぶり出したのは、人間の暗い陰の部分。
貧困や格差、憎悪、密告、差別、悲しい黒字の絵をじわじわとあぶり出した。
自粛し、巣ごもりした日々は、普段すれ違うことで気付かなかった、家庭内の人間のドラマをシニカルなノンフィクションに変容させた。
家庭内暴力、コロナ離婚、幼児虐待、そして、飢える子どもたちの増加。
食のほぼすべてを給食に依存していた子どもたちは、学校の休校と共に飢餓の淵に立たされた。
帰りたい場所を作るために
アメリカの音楽家、バート・バカラックが作った「A House Is Not A Home」という歌がある。オリジナルはホイットニー・ヒューストンの叔母ディオンヌ・ワーウィックだが、この季節の中、いちばん聴いていたのは、限りなく優しく甘いロナルド・アイズレー版だ。
「誰も座らなくても、椅子は椅子。でも、椅子は家(ウチ)じゃない。そして、家は我が家(ホーム)じゃないんだ。そっと抱き締めて、お休みのキスをしてくれる人がいなきゃ♫」
「ハウスはホームじゃない」、この言葉ほどウイルスの季節に頻繁に思い描いた言葉はない。ただの建物と化した家庭の中で、憎しみあい、無視し合う大人たち、飢える子どもたち。
そんな中、週にたった1日しかない定休日を使って、「子ども食堂」を始めた人物がいる。
僕はもはやユニフォームと化したマスクと眼鏡、ヘッドフォン姿で、学芸大学の駅前に向かった。
そこには、北千住の『大はし』や、かつての木場『河本』と同じくらいキンミヤ焼酎を売る、実は少し歳下だけど「兄貴」と呼びたい人物がいる。
休日の趣味を返上する決意
「せめてメシぐらいさ、腹一杯食わせたいって思ったんだよ」、開口一番、齋藤(功)さんは言った。よく通る、少しキー高めの声には、気取らない優しさが満ちている。
2020年の6月26日で13年目を迎えた『さいとう屋』は、今では学芸大学を代表する名酒場だ。常に満席、基本的に予約は取らないため、口開けに訪れない限り着席は難しい。
駅から45メートル、おいしいつまみとおいしい酒、仲睦まじく気がいい夫婦。家族経営の鑑のような店には、連日たくさんの客が訪れる。
一日中一緒に働き、休日には昼間から2人で飲み歩く。夫は妻(陽子さん)を「ようちゃん(時々、かあちゃん)」と呼び、妻は夫を「イサオ」と呼ぶ。
店を開く前から、銭湯とはしご酒が楽しみだった2人は、子どもが大きくなり、手が掛からなくなった時、「これからは好きなことをやろう!」と、カウンターの外から中へ、立ち位置をシフトした。
名酒場、『さいとう屋』の誕生である。
そんなイサオさんが、唯一の楽しみを封印しようと思ったのが、仕込みの時からずっと流しているTVの画面から流れてくる悲しいニュースだった。
ワンオペのオアシスが幕を開ける
大量な食料廃棄が話題になるこの国で、7人に1人の割合でお腹を減らしている子どもがいる。それは、コロナの季節がやって来た時、なおさら深刻になってきた。
学校が休校になり、給食にほぼすべての食を依存している子どもたちが飢餓状態になっている。居ても立ってもいられなかった。
「この辺はさ、目黒(区)は住宅地で裕福なとこなんだから、そんなコはいないよ。やっても誰も来ないよ。そんな風に言う人たちも多かったけど、だんだん気持ちが収まらなくなってきた。だってさ、ご飯食えないのキビしいだろうと思って」
妻のようちゃんに相談すると、黙って頷いてくれた。だったら、やろう!
まったく手探りのスタートだった、でも、最初からメニューだけは決まっていた。店の人気メニューの1つだった「おやじカレー」だ。
「カレーだったら、まぁヒト様に出せるかなと思ったから。カレーは、もともと趣味でやってたからね。休日返上でやるんだから、なるべく嫁の手は借りたくない。だって、やっぱり可哀想じゃん、休みだしさ」
かくして、イサオさんワンオペ(レーション)の『さいとう屋/子ども食堂』がオープンする。営業時間は15時から18時の3時間。未就学児はタダ、小学生は100円、お子様連れの大人は400円、それ以外の学生は一律300円。
『さいとう屋』、イサオさんの新しい航海が始まった。
街角に咲いた善意の赤い薔薇
「やる以上は、ちゃんとした物を出していきたいって思ってるし。カレーも色々あるじゃないですか。ビーフにしたり、チキンにしたり、ベジタブルにしたり。ナスやなんかを揚げてトッピングしてもいい。でもね、とりあえずは手探りでゆっくりとやっていこうと思ったんです。
無理したら、続かないですし、ホント余裕持たないとダメ。それは、いつも考えてる、ストレスがいちばんダメ」
続けて、少し照れながらイサオさんが付け加えた。
「目標は10年なんだ」
「どっちにしても、休みの日は昼に飲み始めながら、今日どこ行く? ここ行く? って感じだったんですけど、コレやっちゃうと片付け終わって6時半じゃないですか。あまり酒飲めないけど、それくらいはしょうがねぇかな、くらいの」
「利益出ちゃイヤだし」と、すべてが持ち出しで始まった『さいとう屋/子ども食堂』。
やがて、食材の支援やお手伝いなど、少しずつ仲間が増えていくに違いない。大都会の片隅に咲いた薔薇に、水をあげるのは街の人たちの役目だ。
都市に暮らす人の心が、決して枯れていないことを願いたい。
そして、子ども食堂は続く
6月29日、「子ども食堂」第2回目のメニューは、チャーシューとシメジのカレーライス。目黒中央町の『とんこつ麺 砂田』さんから、1kgのチャーシューが提供された。
早くも、イサオさんに賛同する有志たちが現れ始めている。
午後4時を回った頃、長身の男性と小さな男のコが階段を上ってくる。
子ども1つと、大人1つ、合計でワンコイン。でも、イサオさんは飲み放題のリンゴとパイナップルのジュースまで用意している。
会話の様子で、どうやら2人は親子ではないみたいだ。
「辛いの好き?」(イサオさん)
「オレ、好きじゃない」(子ども)
イサオさんは自家製のガラムマサラを男性に渡す。5種類のホールスパイスを店で挽いたハンドメイドだ。
「おうちはどこ?」というイサオさんの質問に答えず、
「早くコロナが終わんないかな、ママに会いたい」。
ポツンと呟く子ども、男性はたくさんのガラムマサラを皿に振っている。
閉店間際、小さな女の子とママがやって来る。
イベンターのパパは、4月からずっと仕事のキャンセルばかりが続いている。
お会計は大人2つ分だけ、1つはパパ用の大盛り。テイクアウトの2人にも、イサオさんはジュースを勧める。おいしそうにリンゴジュースを飲む親子。
やがて、絞り染めのTシャツにキャップ姿で休日のようちゃんが顔を出す。
鍋のカレーを少し試食して、
「コレ、子どもさん用なら、少しケチャップ入れたら? あとさ、ニンニクは刻みじゃなくて、擦った方がいいよ、味わいが増すから」
「ほらね、厳しいでしょ、味には」
イサオさんは、微笑みながら頷いている。
これからようやく、2人は飲みに行ける。
2回目の「子ども食堂」を終えたイサオさんが、階段の上まで送りに来て言った。
「10年はさ、続けるからね」
さいとう屋/子ども食堂
- 電話番号
- 03-6760-2824
- 営業時間
- 15:00~18:00(※営業日はお店のSNSをご確認ください)
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。
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