大阪出身の私は、なにわでとことんくいだおれて、3年前に上京した。「東京はだしが黒いって聞いたけど、ほんまかな」。妙な妄想をしながら、初めて食事にでかけた街が神楽坂だった。一歩路地裏に入れば石畳があり、竹林の細道を抜けると、黒木で囲われた家屋に控えめに照る表札。かと思えば向かい側には、トリコロールの国旗が掲げられている。京都でもない、フランスでもない、大都会にこんな不思議で新鮮な街があったのか…と一目惚れだった。美食の街と謳われ、老舗の名店、星付きレストランも多い。
「お店を出した時は、すごい飲食店がたくさんあるとは思ってもみなくて。知らぬが仏とはこのことですね」。そう言いながら、カウンターの向こうでだしをひく背中は自信がみなぎっている。競争の激しいこの場所で14年を迎えたのが和食「おの寺」。店主の小野寺和幸さんも、神楽坂に一目惚れしてこの地に店を出した。今では「予約が取れない名店」だ。
ある客の一言が店の味を変えた
初訪の際、同じく関西出身の友人とだしを一口飲んで顔を見合わせ、自信たっぷりに聞いてみた。「小野寺さんは、西のご出身ですか? もしかして関西で修業なさったのですか?」。こんな味の時は決まって出身地や修業先が大阪か京都の料亭や割烹だった。しかも早口な店主が織り交ぜる冗談も、関西仕込みにしか思えない。てっきり「よくわかりますねえ」と感心されると思ったら、「いやいや、僕はバリバリの江戸っ子やで」と見事に予想を裏切られた。饒舌なトークはともかく、「おの寺」のだしは京都でいただくだしのようなのだ。いい意味で裏切られ、小野寺さんの味をもっと知りたくなったのだった。
大きな鍋がふたつ、そこには見たことのない量の昆布が浸かっていた。「お店を立ち上げた年にね、あるお客さんに『だしが細いね』って言われたの。すごく悔しくて。だしのおいしさって何だろうと京都に行ってみたり、いろいろ試してみた。利尻昆布をたっぷり使ったら、厚みが出た。ところが、利尻昆布がどんと値上がりしちゃってね。そこでいいこと思いついてさ」。そう言って見せてくれたのは、値段が張る羅臼昆布がいっぱい詰まった袋。
「これ実はね、昆布の耳っていうのかな。両サイドのビラビラしているものを使ってる。訳あり商品ってわけじゃないけど、昆布は昆布、同じでしょう。これなら惜しまずバーンと入れられるからだしの厚みがうまれる。これに真昆布も加えて20分抽出したら、鰹節を入れます。昔は鰹節をいっぱい使えばいいって思っていたけど、味の太さはやっぱり昆布なんだよね」。
そういって、鰹節を優しく投入して、「おの寺」のだしが完成した。
「だしをマンションに例えて説明すると、昆布は基礎工事で、鰹節が躯体工事だと思っている。基礎工事がちゃんとできてないと、上がどれだけ立派でもグラグラしちゃうでしょ」
素材に一切妥協しない名店は多い。しかし、お客さんに値段で負担をかけたくないと考え抜いてたどりついた「昆布の耳」からは、店主のまっすぐな想いが伝わってくる。そして実現したのが8品を7,500円でいただけるコースなのだ。
素材が織りなすだしの七変化
「おの寺」のこだわりのだしは、使う食材や調理によって全然違ってくるのもおもしろい。
「うちは一番だししか使わない。醤油をいれるなんてもってのほか。塩と酒で整えるだけだよ。おだしに力があれば、調味料ってほとんどいらなくなると思うんだ」と小野寺さん。
今が旬の“れんこんもちの揚げ出し”をいただく。れんこんもちは、焼いたような香ばしい香味がだしと相まって食欲を掻き立てられた。一番だしは、もちから染み出す揚油と調和し、とろんと甘く変身する。もちの中に隠されていた海老が出てくると、さらにだしの味が濃厚になる。
蓋を開けると具が飛び出してきそうなほど、グツグツと揺れているのは冬の定番メニュー“治部煮”だ。全体的に味が優しい「おの寺」には珍しく、しっかりと味つけされている。餡にとじ込められただしとフランス産鴨肉のほのかに甘いうまみが、酒の肴にぴったり。こちらの気持ちを見透かしたようなタイミングで「米が食べたくなるでしょう」と声をかけられた。確かにお酒もいいけれど、白飯を治部煮にほうりこんで餡を絡めて一気にかきこみたくなる。
最後にでてくるシメは、旬の食材を使ったご飯である。今時期は“鯵の炊きこみご飯”。芯がほんの少し残っていて、お米一粒ひとつぶがちゃんと立っている。店主の親戚から直送される、宮城県産のひとめぼれを使用。ほかにはないこの味わいが大好きで、炊き方を教えてもらった(お店のようにうまく炊けた試しはないけれども)。もちろんここにもだしが使われている。鯵の柔らかい脂が、だしと土鍋の中で一緒になって生まれるうまみに感動すると、すぐに茶碗が空になっている。
人たらしの店主にハートもつかまれる店
なかなか予約が取れない和食店に初めて行くときは緊張もする。でも「おの寺」では最後のご飯をいただいている頃には、家で食卓を囲んでいるような気分になっているから不思議だ。店内も料理も着飾っていない。カウンター越しの距離感が絶妙だから居心地がいい。店主が一人で調理しているのだが、カウンターで食事をしている一人ひとりへの気配りを感じるのだ。
そして、どれだけ忙しくても玄関まで見送ってくれる。お客と一対一で話ができる大事なチャンスだからだという。
「そのワンピースかわいいね」
「髪型、似合ってるねえ」
それってお世辞? などと思いながらも別れ際までいい気分になる。「関西人」と間違えただしもそうだが、嫌みなく懐への飛び込んでくる店主は、いい意味で「人たらし」だと私は思う。だからエレベーターが閉った瞬間に、「また来よう」と思ってしまうのだ。
おまかせコース 7,500円(税別・サービス料別/カウンター10%、座敷15%)
神楽坂 和食 おの寺
- 電話番号
- 050-3313-2409
- 営業時間
- 18:00~23:00(L.O.21:00)
- 定休日
- 毎週日曜日 ※※不定休あり
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
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