お客様は神様と考える輩が街と店を退屈にさせることについて

【連載】正しい店とのつきあい方。  店や街とのつきあい方がわからない人が増えている。初めてなのに常連と同じように扱われないと怒る人や金さえ払えば何でもしてくれると思う人。お客様は神様、などではない。客としてのあり方を街と店に深い考察を持つ江弘毅氏が語る。

2016年02月19日
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お客様は神様と考える輩が街と店を退屈にさせることについて
Summary
1.その店が嫌だと思う原因を作る存在とは?
2.飲食店の「本当の情報」なんてネットの口コミなどには載っていない
3.「通」とデリカシーのないただの消費者との断絶

前回、京都・寺町の「京都サンボア」で店主の中川英一さんに言われた「Tシャツ入店お断り」のことに触れたが、店主は同様に「カウンターに肘をつくな」「ピーナッツの皮は床に落とせ」など、自分の店での決まりごとを客に表明していた。

これは客が京都サンボアのカウンターで飲む際の最低限のルールとして、中川さんが決めていたコードなのだが、30代の頃は「このおやっさん、五月蠅いな」と思いはすれど、それがどういうことかとはあまり認識していなかった。

その店が嫌だと感じるとき、その原因はだいたい客側にある

日本人はフランス料理にしろイタリアンにしろ、オープンキッチンにカウンタースタイルの店が好きで、居酒屋でも焼肉・ホルモン店でもお好み焼き屋でもテーブル席に着くよりカウンターを選ぶ人が多いように思う。
繁盛している立ち吞みなどで、知らない人が隣合わせとなり、ときには「ダークダックス立ち」をするカウンターは、最もパブリックな飲食スタイルである。

パブリックというのは、誰もが思い思いのことができることではない。
有名な串かつ「ソース2度づけお断り」の例にもあるように、そこでは常連・一見問わず、ある種のルールというか、カウンターに並ぶみんなが気持ち良く飲み食いできることが要求されて当然だ。

カウンタースタイルの店で時折、「この店、何だかいやだなあ」と思ったりすることになる原因は、カウンター内にいるマスターや料理人などのスタッフの接客やサービスについてではなく、自分と同じようにカウンターに陣取る他人である場合が大きい。

とくにカウンターだけのバーやスナック(流行っているようだ)などの酒場、鮨屋や割烹など、客と店側の密なコミュニケーションが行われる店舗形態の場合、各々の客はそこがどんな店であり、どんな客層なのかをわかったうえで臨みたい。
けれども実際は、なかなか店の日常はわかりっこない。

またテーブル席の店なら、他人が見えない端の方に座ることができるし、なんとなく他テーブルにバリアを張ったりもできる。
しかし、カウンターは知らない客と隣り合い、カウンター内のバーテンダーや板前さんやスタッフをハブとして、会話が促進されるしくみだ。
もちろんその会話をじっと聞いているだけでもオッケーだが、時々頷いたり、にっこり笑ったりするだけで、店的共同体の一員になれたりする。

話題については、スペインバルならワインやイベリコ豚のことでもいいし、
「清原、あいつは本当にアホなことしたなあ」
「PLから西武に入った頃、この店に来たことあるんですが、かれはほんとに純朴でテレ屋で、良いヤツだなあと思いました」
なんてのも実に多い。

カウンター型の店は、そのカウンターでどのような話題のコミュニケーションが、どんな言葉遣いや口調で展開していているのかがその店を決定づけていて、それにチューニングが合って自分も巻き込まれるかたちで、「いいな。楽しいな。また来よう」となる場合が多いのだ。

店を評価してやろうという姿勢が一番迷惑である

いろんな飲食店について、何が美味しいのか、どんな酒が揃っていて安いのかは、結構情報化されている。
ネット検索してあれこれサイトに書かれたことを読めば、だいたい1時間ぐらいでそれらがわかる。

けれども「皿の上」からはみ出しているものこそが「店の日常」というものであり、これはなかなか書かれていない。
逆に店を数値で評価するようなサイトの「口コミ・評価」などでは、一見客がまるでカスタマーセンターにクレームを入れているような調子で投稿され、アップされている。

「出てくるのが遅い」とか「マティーニのオリーヴが油っぽい」とか、極端なものになると酢牡蠣からカキフライ、牡蠣鍋と牡蠣ずくめの創業100年になろうという牡蠣専門店についての書き込みには、「残念です。白ワインを置いていたら高評価になるのに」などというのがある。
そのように書くことの何が目的かは知らないが、シロウトが匿名でこんなことばかり脱糞するように書いてある。こういうのを先に読んで店に行くとメシがまずくなる。 

飲食店に行く自分を「消費者」として規定して、それで固定してしまうと、ものの見方や身体感覚が変容しなくなるから、どうしても店を査定するスタンスになるのだ。
「店を評価してやろう」とか「客のわたしを納得させろ」とか「人より損をしたくない」とか、そういう「顧客満足」の構え方でいると、カウンター型の店では楽しめないばかりか、ほかの客にも大きな迷惑をかけることになる。

その店に行って、気に入らなかったら二度と行かない。
それでいいのだと思うし、行って「よくないなあ」と思う店に行くこと自体、はじめから間違っているのだ。
そういう人はグルメであるかも知れないけれど、デジカメを買おうとして価格を比較するサイトを検索して「最安値」で買うのと同じデリカシーで、街的ではない。

「通」とただ愚痴を垂れ流す消費者の違い

良い店しか行かない人のことを「通」というが、通は「実生活者」であり、消費者でいる限り「通」にはなり得ない。メディアからあらかじめ入手した情報を読み取り分析して、それを使いこなすリテラシーやスキルではないのだ。

とくにカウンター型の店のシステムはコミュニケーションであり、カウンターについた瞬間からその店のリアルなシステムに入っていかないと注文すら出来ない(串カツ屋の注文は案外タイミングも難しい)。

昨日、大阪ミナミの鰻谷のスペインバル「バー・ヘミングウエイ」に行くと、たまたま隣り合わせた客が大著『イベリコ豚の秘密とスペインの生ハム』の著者、渡邉直人さんだった。

渡邉さんは大阪出張のたび、このスペインバルにいらっしゃる。
マスターの松野直矢さんが渡邉さんの著書を客に回し始めると、ハモン・イベリコ・デ・ベジョータがもっとうまくなるのは必定だ。

かと思えば、しばらくして常連の50代母+20代娘のコンビが、友人の沖縄のシンガーCHI-KAを連れてやって来て、アカペラを1曲披露することになった。
そういう融通無碍な瞬間の積み重なりこそがカウンター型店の店たる所以だ。

カウンター店は客と店、客と客同士が相思相愛でないと成り立たないシステムだ。
だからこそ、店を試したり疑ったりするスタンスは迷惑なのだ。

※江弘毅さんのスペシャルな記事『いい店にめぐり逢うために知っておきたいこと』はこちら

BAR Hemingway (バーヘミングウェイ)

住所
〒530-0003 大阪市中央区東心斎橋1-13-1伊藤ビル1F
電話番号
06-6282-0205
営業時間
15:00~23:30
定休日
不定休
ぐるなび
https://r.gnavi.co.jp/5nn9ywm80000/

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