幸食のすゝめ#019、3席の宇宙には幸いが住む、新橋。
「すし処まさと申します、明日お待ちしておりますね。何人様でいらっしゃいますか?」夕方、懐かしい声の電話が入る。
そう言えば、カレンダーの日付に丸が付いているのが最近いつも気になっていた。そうだ、明日は待ちに待った『すし処まさ』の日だったのか。そのとたんに、2年前に予約した宵の記憶が鮮やかに蘇ってくる。あの日、マグナムのボトルを囲んだ友とは、今でもたまに酒の杯を重ねている。でも、傍らにいた女性とは、もう長い間ゆっくりと話をしたことがない。
鮨屋を貸し切るという凡そ庶民には無縁の、この上ない贅沢。そんな見果てぬ夢を現実にしてくれるのが、たった3席(最大4席)のキャパしかない『すし処まさ』の至福だ。気心の知れた友や愛する人と、わずか一組だけで美味しい鮨を堪能する2時間。それはそのまま、手間隙かけた職人の仕事を自分たちだけで独り占めするという事実でもある。客たちに「まささん」と呼ばれて慕われる店主の鈴木優さんは、毎朝たった2組の客だけのために河岸に出かけて、その季節折々の旬の魚を仕入れてくる。
戦後の闇市のまま発展した新橋駅前ビルは、サラリーマンたちの聖地だ。手軽な居酒屋や安い立ち飲み屋が立ち並ぶ一角は、午後5時を回るとどの店も満員になる盛況ぶり。そんなビルの地下1階、地下鉄からそのまま繋がった一角に『すし処まさ』はひっそりと存在する。入口あたりには戦後そのままの靴磨きコーナーが残っていて、説明が日英並記なのも当時の新橋を想像させる。
オープンは2010年、最初は立ち飲み屋をはしごする客たちが、その合間に2~3個ほど鮨をつまんで帰って行く気軽な店だった。しかし、メニュー脇に小さく書かれた「2時間貸し切れます」の1行が店の運命を大きく変えて行く。
3人で鮨屋を貸し切れる、その魅惑的なインパクトは瞬く間に口コミで広がって行き、オープンから3年足らずで1日2組の予約は2年先まで満員になった。3人か4人の客たちが帰り際それぞれに、次の回の予約を取って帰る、予約帳に使っている10年日記はどんどん客たちの名前と連絡先でいっぱいになった。
もちろん、『すし処まさ』の本当の魅力は「貸切」ではない。丁寧な仕事をしながらも笑顔を絶やさないまささんの人柄と、創意工夫に溢れ、決して客を飽きさせないコースの展開、圧倒的なコストパフォーマンス。それらこそが、日本一予約が取れない鮨屋を誕生させた要因だろう。
10分の1の客数で実現したホスピタリティー
たった1.82坪の鈴木劇場、新橋に舞台を移す前のまささんは現在の10倍程のキャパを切り盛りしていた。しかし、一人ひとりのお客さんと話もできず、丁寧で細かい仕事もままならない状況の中、新天地を目指す。巡り会った今の物件には、当初6席のL字カウンターが付いていた。しかし、まささんはわざわざ3席のカウンターに改装。「6席だと狭い空間で知らない方同士が一緒になってしまう。だったら1組だけにしてゆったり楽しんで貰おうと思いました」。すべては客へのホスピタリティー、何年待っても行きたい『すし処まさ』のスタートだ。
特別な夜を約束する僅か1.82坪のミラクル
お造り3種に始まるコースは、酒肴や焼物を挟んで自家製豆腐で口を洗い、握り8貫で〆る。
焼物は薔薇のように盛られたメバチ鮪を自分好みの焼き加減で炙り、洋風のマスタードを添える。
豆腐は濃度10%以上の豆乳をにがりだけで固めたもの。
塩分濃度が違う3種の醤油を3回に分けて漬け直す天然鮪の「づけ」。
丁寧な仕込みを施し、美しく編み込まれた「小肌」など、どの握りも江戸前の仕事が施されている。
特別な夜に、特別な歓びを与えてくれる『すし処まさ』。その唯一の欠点は、予約が困難という事実。しかし、SNSが盛んな現代、知人たちの中に、たった3枠の奇跡を有している人物がきっと見つかるはずだ。探し出したら、とにかくその夜だけは一切の予定をキャンセルして待とう。僅か1.82坪の食の銀河、3席の宇宙には幸いが住んでいる。
<メニュー>
コース 7,000円のみ、エビス中瓶 700円、越の寒梅 700円、久保田萬寿 1,500円
酒持込可(持込料要相談)
※本記事に掲載された情報は、掲載日時点のものです。また、価格はすべて税込です。
※森一起さんのスペシャルな記事『幸食秘宝館・武蔵小山、グルメランキング上位には載らないホントウの名店3軒を巡る』はこちら
すし処まさ
- 電話番号
- 080-5442-9866
- 営業時間
- 18:00~20:00、20:30~22:30
- 定休日
- 定休日 日・祝
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。