私が地方のイタリアンを巡り始めた理由
2002年、イタリアで修業中の日本人コック24人を取材した時「日本に帰ったら地元で店を開きたい」という日本人コックがいた。それも少なからず。
てっきり「東京で一旗揚げる」ための修業だと思っていた私は、彼らの言葉にドキドキが止まらなかった。
という話しを当時料理業界の大先輩にすると、しかしこう返ってきた。
「そんな料理人はこれまでもたくさんいた。フランス帰りでも。だけど地方では結局ハンバーグを作ることになって、喫茶店みたいになっちゃうだけ」
そうでしたか、と言った1秒後、生意気にも「ほんとかな」と疑ってしまった。
これまではそうだったかもしれない。でも、これからは違うんじゃないのかな、と。
自分で見てみようと思って、地方イタリアンを訪ねる自主トレを細々と始めた。
2005年1月付け、私のパソコンにはこんな言葉が並んでいる。
「地方という選択」
「地方からはじまるイタリア料理」
「そろそろ、地方へ向かおう」
「料理を追求していくと、“生きる”と切り離せなくなってくる」
「私たちは今、根をしっかりと下ろしたイタリアンに憧れている」
ぼんやりとした予感を、具現化している料理人に出会いたい。そして地方イタリアンを引っ張ってくれるような料理人が1人現れてくれれば、と願いながら旅をしたら、その後一気に、3人も現れた。
青森・弘前市「オステリア エノテカ ダ・サスィーノ」の笹森通彰シェフ、和歌山・岩出市「ヴィッラ・アイーダ」(当時「リストランテ アイーダ」)の小林寛司シェフ、そして福岡・福岡市「アンティカ・オステリア トト」の本田剛シェフ。
ちょっと前置きが長くなったけれど、今回はその本田シェフのお話しである。
シチリアのトラットリアを、福岡で
2007年5月、「アンティカ・オステリア トト」は、福岡市中央区にある大濠公園の近くに開店した南イタリア料理店。
いや、「長浜市場の近く」と言った方が正しいかもしれない。本田シェフは市場を身近に感じる場所で、魚介が主役のトラットリアをしたかった。
シチリアの修業先が市場の中にあったからだ。
カターニャという港町のトラットリア「アンティカ・マリーナ」。市場の中にあると言っても、地元の人はきちんとした装いで訪れる店だ。
ちなみに、彼は一度食べに行って「ここだ」と確信。5日間毎日通って、5回目のエスプレッソを飲むときに「働かせて欲しい」と頼み込んでいる。
そういう “手っ取り早くない”ことがイタリアではとても大事だ。
「今考えると、どこで修業していても、福岡がいつも頭にあった気がします」
「トト」がオープンしたばかりの頃、彼はそう語っている。
イタリアではトスカーナ州から修業をスタートしたけれど、次はどこへ行こう? と考えた時に、自然と足が南へと向かったのだそうだ。
日本へ帰ったら、福岡で店を出すことは決めていた。だったら福岡と重なる気候風土や雰囲気のある土地へ。
それが南の島シチリアだった。海があって魚がおいしくて、人情味溢れる人がいて。やっぱりこの土地を好きになって、「アンティカ・マリーナ」では1年半修業している。
毎日、メルカートにある食材で料理を作る
「九州の築地」とも呼ばれる長浜市場には、玄界灘、五島列島や有明、壱岐、長崎と近海からの魚介が集まってくる。しかも、シチリアの魚介と案外似ているらしい。
たとえば地元でもっぱら佃煮か味噌汁になるサルボ貝は、シチリアの「タルトゥーフォ」と呼ばれる貝にそっくりで、ズッパやパスタに使われる。
地方ではよく「いい魚はみんな東京へ行ってしまう」とも聞くけれど、本田シェフはそんな泣き言は言わない。東京へ運べない足の早い魚やマイナーな魚、小魚もむしろ「イタリア料理向き」と喜んで使うし、そして当然のように、すべて天然ものである。
「甘鯛や立派な平目は東京で食べればいい。だって福岡でイタリア料理店をやっていて、土地に無い食材を取り寄せるなんて、カターニャの同僚は何と言うだろう? 彼らは毎日、メルカートにある食材を使うから」
彼はイタリアから料理のレシピを持ち帰ってきたのでなく、「自分のルーツはどこにある?」 という問いの答を見つけて帰ったのだ。
10年育て合った地元生産者とのつながり
今年5月、「トト」は10年目に突入した。
ここまでの道のりを「やりたいことをやってきた10年」と本田シェフは語った。シチリアのスタイルで、魚介メインで、現地の味を福岡の人の口に合わせようと思ったことなど一度もない。
でも、福岡の人々はそれを喜んだ。
何度来てもいつも人がいっぱいで、夜はとくにみんなガヤガヤ、ガチャガチャ、ぐびぐび。そしておなかの底から笑っている。
――これからの10年は、どうしていくのですか?
「ただ、自分がカッコいいと思うことをやっていきたいなと」
――カッコいいことって何ですか?
「ずっとイタリアをやって行くってことです」
迷いのない即答だった。
これまで、本田シェフは地元の生産者とつながってきた。
そこは、地方に多い「自家菜園を持ちたい」「自家製をつくりたい」タイプと違うところだ。
餅は餅屋タイプ。野菜は野菜のプロと手を組み、自分は料理のプロとして、地元の宝を世の中の人たちにおいしく伝えていく。
「僕の地元には、いいものを作ろうとする気概がある人たちが多いんです」
糸島では、ラディッキオやカルチョーフィ、ハーブを作っている久保田農園、平飼いで育てられる鶏の卵「つまんでご卵」を生産している「緑の農園」、マンゴーとパッションフルーツの2種だけを作っている農家の佐田さん。
福津市津屋崎では、ナポリを中心としたイタリア野菜を育てるシルビオさん夫妻。豚は上質な脂を持つ「一貴山豚」。そして、長浜市場の魚屋たち。
その中心で、彼は市場のような生気を周りに与えている。
「シルビオの野菜は、どんどんクオリティが上がっているんですよ」というシェフの言葉に、「トト」と彼らの道のりが伝わってくる。
料理人も生産者も、最初から完璧だったわけじゃない。試行錯誤の段階からつき合って、一緒に悩みながら育て合ってきた関係。
今、福岡の地元全体が家族のように結束し、それぞれが活気づいているのは、10年の親交があればこそだ。
まだ具体的ではないけれど、次の行動を考え始めているんです、と本田シェフは最後にふと呟いた。地殻活動のように何かが動き始めている気配。
地方イタリアンは今、たぶん第二ステージに上がろうとしている。
すべてランチコース(2,580円)より。
前菜盛り合せ。鰯とパプリカのマリネ、宮崎の西米良サーモン(カワマスとエゾイワナの掛け合わせ)とメロン、モルタデッラのピュレを巻き込んだクレープなど5品ほど。
「ブシャーテ・アッラ・トラパネーゼ」。ローストしたアーモンド、トマト、生ニンニク、バジリコ、ペコリーノチーズ、オレンジ風味のオリーブオイルをミキシングしたソースが、コイル状のパスタ「ブシャーテ」に絡む。そこへ地元産の車海老がゴロンゴロン。噛むのが楽しくなる弾力、噛むほど溢れる旨味。甲殻類の香ばしさに、オレンジの風味が心地いい。
「デンティチェ・アラ・グリリア」。こちらも地元・福岡の天然鯛とヤリイカをグリル。ヤリイカには「モリーカ・コンディータ」と言われる、パン粉をニンニクオイルでローストし、パプリカをちょっと、アンチョビを溶かしたオイルをかけたものをつけている。茄子のカポナータ、かぼちゃのアグロドルチェ(甘酸っぱいマリネ)と一緒に、福岡の夏の魚と野菜だ。
「かぼちゃは今、実家近くの農家でどんどん穫れるから、一生懸命使わないと(笑)」
「ピスタッキオのジェラート」。バタークリームに近い濃厚さのピスタッキオに、チョコレートケーキのビター、カシスソースの爽やかな酸味。
〈メニュー〉
ランチ1,680円、2,580円。
夜は前菜1,380円〜、プリモピアット1,380円〜、セコンドピアット2,450円〜。
ワインはグラス泡1種・白赤各3種680円〜、ボトル4300円〜。
すべて税込、コペルト500円、サービス料なし。
コースは4,800円、6,800円。それ以上のご予算の場合は要予約。
Antica Osteria Toto(アンティカ・オステリア トト)
- 電話番号
- 092-402-3305
- 営業時間
- 11:30~14:30(L.O.13:30)、18:00~21:30(L.O.21:30)
- 定休日
- 定休日 毎週火、第3水
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。