京都の旧い花街の店について、いわゆる「一見お断り」のことは、「店は一見では行かないもの」というようにとらえていた方が良い。
そもそも料亭や割烹、鮨屋といった料理店、あるいはクラブやスナックといった類の酒場は、京都であろうがなかろうが、「知らない店には行かない」というのが当然のスタンスだ。
京都が「ややこしい」のでもなんでもない。店側にとって客はみんな「知ってる人」であることが基本なのだ。
飲食店は「初めは誰かに連れて行ってもらう」から始まる。
それが「店づきあい」にほかならない。
暖簾をくぐったりドアを開けたりして店に入ると、真っ先に起こることは「人と出会う」ことだ。
人と人が出会い、そこから「知り合い」になる。
ここ20年以上、都市の商業空間は人とが出会わなくても回るシステムになってきた。
カウンターに座って牛丼を注文しても、カゴに入れた食べものをレジに持っていっても、物理的に人と出会うのだが、それは徹底的に匿名的であり人格同志の出会いを意識することはない。
というか、そこでは余計なコミュニケーションはコストだとばかり、真っ直ぐにまるでジャンケンをするように商品と貨幣が交換される。
そのように店舗システムが整備されマニュアル化されてきたのだ。
マニュアル化された店舗システムの真逆にある京都の料理屋のこと
その対極が京都の料理店だ。
京都の店の面白さは、料亭にしろ割烹にしろ、各店で茶懐石、有職料理、仕出しやおばんざいの町方料理とルーツや様式が違い、そこにすっぽんや川魚、鯖寿司など、京都ならではの専門料理が混じり合っているところだ。
つまり個店としての個性や特徴がバラバラで、一元的なとらえ方ができない。いったい何を商っている店なのか分からないことも多い。そこが「ややこしい」ところなのだ。
祇園の『橙』や先斗町の『あだち』は、「お茶屋の一角をつかった割烹」ということになるのだろうけど、店の本来のシステムがどうなのかといったことは、20年以上食べたり飲んだりさせてもらっているがあんまり知らない。
『橙』は『万イト』の1階を割烹にした店だ。
『万イト』は大石内蔵助が豪遊したという日本一有名なお茶屋『一力亭』の暖簾分けで、別亭という位置づけだ。その昔『一力亭』すなわち『万亭』から分けられた「一」と「力」が離れた「万」の麻暖簾がかかっている。
佐野眞一の『阿片王 満州の夜と霧』には、満州利権と阿片にからむ怪奇な生涯を送った里見甫が敗戦後、『万イト』に潜伏していたと記されている。
ご主人の山村文男さんは「大きなシナ鞄を携えた中国人の周さんと来てました。A級戦犯になって巣鴨にへはここからジープでいきました」と懐かしむ。
『橙』が開店してからは、山村さんの同志社大卒の経歴を面白がった川端康成が行きつけだった。
「今年兆去年」の揮毫は開店一周年の際に書いたもので、翌年日本人初のノーベル文学賞を受賞している。
『橙』は割烹であるから、多分わたしらが今食べ飲みして遊んでいるのと同じで、それがお茶屋遊びでないことは感覚的に分かっていても、そこから先は「知らないまま」で良いのだと思っている。
『橙』にしろ『あだち』にしろ、いつ行っても京都の祇園、先斗町そのものの色気のある空気でいっぱいの店だ。
京都に出たら思い出すというか、ふと思いついて「大将に会いに行く」みたいな感じで、うまいものを食べさせてもらっている。
「店づきあい」のこと
どんなものを食べてどんな酒を飲んでどんなことをして遊べてその対価はいくらか、というようにメニュー化されていること。そういうのは便利でわかりやすいかも知れないが、「店づきあい」こそが「遊び」である京都のこの手の花街の店は、底知れぬ奥行きがある。
「食べること飲むこと」が、花街の「遊びの中にある」もののひとつにすぎないということを思い知らせてくれるのだ。
お金のやりとりは店側と客の「知ってる者同士」が行うから、ほかの人にはわからない。
お茶屋通しで支払う馴染み客や、盆暮れの年に2回の精算をする旦那筋もいる。
それが旧態依然とした「ややこしいシステム」としてみるのか、いらぬ気を遣わせずして遊べる「店づきあい」の合理性だとみるのかで、京都の旧い花街の店への見方が変わってくる。
カネがすべての遊びなのか、カネなんか目じゃない遊びなのか、そういうことを考えている限り、祇園や先斗町は遙かに遠い。
※江弘毅さんのスペシャルな記事『店づきあいの倫理学』はこちら
橙(ダイダイ)
- 電話番号
- 075-561-2380
- 営業時間
- 12:00頃〜14:00頃、18:00頃〜21:00頃(要電話確認)
- 定休日
- 不定休
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