幸食のすゝめ#028、太陽の記憶には幸いが住む、岩本町
アンドシノワーズの料理は、南の太陽に照らされた幸福な思い出でできている。
旧フランス領インドシナ、現在のベトナム、ラオス、カンボジア。私たち日本人と同じように、米を食べ、魚を食べ、そして、鶏も、豚も食べる。私たちと同じように、黄褐色の肌を持ったアジアの兄弟たち。
南国の豊かな自然を背景に、華僑や宗主国フランスの影響を受けて100年ほど前に開花した東南アジアの食の華。
その文化と風土に見せられた園健さんと田中あずささん、2人の出会いが、2014年、東京の街角にハーブと魚醤が織り成す、鮮やかな句読点を打った。魚醤とハーブの料理ユニット、アンドシノワーズの誕生だ。
「ここで少しだけ、私たちのユニット、アンドシノワーズについてお話しさせてください」、
料理の手を休めた健さんが、食宴が続くポーカーテーブルの前で穏やかに話し始める。
仏領インドシナの説明の後、手元には一冊の本。
「これは南べトナム時代に執筆されたレシピ本で『 Nghệ thuật làm các món nhậu』。日本語に訳すと「酒のつまみの芸術」という意味です。1972年の発行ですから、料理自体はもっと昔のべトナムで食べられていたものが多く、現在の料理と比べると材料が違っていたりして興味がつきません。中にはタガメの油とかも出て来ます」。
気がつくと、岩本町のサロンにはハーブに縁取られたインドシナの空気が満ちている。
健さんの話に共鳴するように、あずささんが持ってきた大笊の上には、インドシナの森が引っ越して来たようなグリーンの洪水と、レモングラスでグリルされた香ばしいポークが載っている。
少し焦がしたアーティチョークがアクセントになり、合わせるソースは、発酵させた鰯の外観がそのまま残っている魚醤にパイナップルジュースを合わせたもの。
「これは北ベトナムの「Rau rừng cuốn」という野菜料理をオマージュしたものです。日本語で「森の野菜ロール」、「Rau rừng 」が森の野菜、「cuốn」は巻くという意味です。本来はライスペーパーに茹豚のスライスと野菜を巻き、タレに付けて食べます」。
土鍋に満たしたココナッツミルクで茹でられたツブ貝は、たっぷり入れられた生のレモングラスがアクセントになり、森の幸と海の幸を融合させるインドシナのハーブ使いに陶然となり、一気にスープまで飲み干してしまう。
再び、森が引っ越して来たかのような軽く蒸したキノコと緑黄色野菜の大笊は、魚醤の中で茹で玉子を潰したソースで食べる。夢中でキノコを頬張っている内に、さっきのグリルポークがイチジクとミントでお色直ししてやってくる。
フランスの洗練とアジアの純真が1つになった皿に、ワインのグラスがどんどん空になって行く。
突然、運ばれた皿にはラオスから空輸されたナマズが3匹バナナの葉の上に乗っている。日本の河川で見かける少しおどけたような外観とは違い、黒々とした精悍な身体と鋭角な頭は、メコンの流れの中で古代から泳ぎ続けていたみたいだ。
健さんが2本のスプーンを背骨に沿って開くと、羽を閉じていた蝶が飛び立つ時のように、さっと左右に白い内部をさらけ出す。添えられたソムタム状のものは、青いパパイヤではなくマンゴー。淡白なナマズの味に、複雑な甘みと清涼感を足す。
メコンの川魚はどこまでも清浄で、日本の川魚のような泥臭さは微塵もない。
途中届けられる焼売は、大きな蓮の葉に包まれて蒸され、ほのかに青みがかった香りに包まれている。
タケノコやささげ豆、川海老、さまざまな山の野菜を合わせた炒め物と和え物の中間くらいの料理は、新島や八丈島のくさやのような強烈な匂いの魚醤で味付けられるが、たっぷり使われたミントが未知の味を導き出している。
そして、白眉はたっぷりの山菜や豚肉、生の唐辛子、タケノコをラオスの魚醤で仕上げたバンブーシュートスープ。
驚くほど滋味深いラオス山岳部のスープは、今まで飲んで来た沢山の皿の、どのスープにも似ていない。生まれて初めて出逢うのに懐かしい、不思議なノスタルジーと優しさに満ちたスープだ。
東南アジアのワイルドな感性と食材、華僑の叡智、フレンチの洗練がメランジェした仏領インドシナの忘れ得ぬ食の誘惑。南国の暑い太陽の記憶には、幸いが住んでいる。
Indochinoise(アンドシノワーズ)
- 住所
- 〒101-0032 東京都千代田区岩本町 ※詳しい住所はお申し込み時にお知らせします。
- 営業時間
- 予約メールアドレス:info@indochinoise.com
- 定休日
- ※詳しい住所はお申し込み時にお知らせします。
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