昭和初期の地図を見ながら宇田川の流路を巡ってみた
ぐるぐる散歩してから晩ご飯。
ということで、連載1回目、2回目に続く、今回の散歩は、代々木上原。というより、「宇田川の谷と上水道の丘」だ。お店は、オーガニックレストラン『110』。
散歩にオーガニック。ああ、なんだか健康的すぎる響きだ。健康に留意して選んでなんかいない。地形を見るのが好きだから散歩するのであり、この店のご飯がうまいと感じるから食べているだけなのだ。
お店の紹介はあと回しにして早速、脳内地形散歩を地図でしましょう。地形散歩が興味のない人は、そのまま代々木上原駅で降りて店に直行すればいい。地形散歩の話はふっとばしてお店の紹介を読んでくれればいい。
さあ、今回もきっと長々と地形を語るのである。
今回の主役は、「宇田川」だ。宇田川は渋谷川の支流であり、宮益坂下の交差点とJR山手線の間あたりで渋谷川に合流している。宮益坂の下から宇田川を遡るとスクランブル交差点を109に向かい、109の手前で右折して道路に沿って右側を行き、(渋谷センター街周辺の)ビルの下を斜めに横断し、交番の左の道に出てそのまま今ある道に出る。
そこから先は、あからさまに昔、川が流れていたとわかる遊歩道が宇田川の流路だ。右手の先にNHKを見ながら、遊歩道を北西に歩いて行くと下の地図の右下に出て来る。Dressingでも紹介されていた『PATH』や『アヒルストア』はこの辺りにある。
下の地図は
①明治初期(殆ど江戸時代)
②昭和初期(殆ど大正時代)
③平成時代(今)
だ。
①明治初期(殆ど江戸時代)の地図
②昭和初期(殆ど大正時代)の地図
③平成時代(今)の地図
①は明治時代の地図をもとに作成したが、宇田川の流れが曖昧なので昭和時代の宇田川の流れにしてある(等高線も昭和時代の方が細かいので昭和時代を流用)。人の手にかかって田んぼとかになる前の宇田川がどういう流れだったかを、地図を見て歩きながら推測するのがまた楽しい。
今の微妙な高低差を見ながら、一番低い所を探り、自然な川の流れを推理するのが一つの川遊びである。雨の日に歩き、地面に降り注いだ雨がどこに集まって行くか、水の流れを観察したり、雨の日以外でも、ビー玉を持参してどちらに転がるかで一番低い場所(元の川の流路)を見つけるのが微地形好きの趣味だ。まあ、土地が相当変えられているため本当に正確な流路は限定出来ないが、なぜか妙に楽しかったりする。(変な趣味ではあるが)
井の頭通りは東京オリンピック直前に水道管を埋めた道?!
宇田川を遡って遊歩道を歩いて行くと井の頭通りにぶつかる。井の頭通りは、明治時代の面影はカゲもカタチもない。大正時代に、和田堀給水場から綺麗な飲料水を供給する水道管を埋めるために作られた道が今の井の頭通りである。
昭和の地図を見ると井の頭通りは「和田堀青山線水道道路」と書いてある。このまっすぐな道は、水道道路と呼ばれていた。その後、首相だった近衛文麿が、井の頭街道と呼び、現在は井の頭通りとなっている。水道管に圧力をかけて水を送っているので、山も谷もおかまいなしに直線で水が供給できるのである。
この西洋の技術が入る江戸時代、綺麗な水はどう供給されていたのだろう。その答えも今回の地図に入っている。
地図の左上に流れている玉川上水。左下に流れている三田用水が答えだ。玉川上水は江戸時代前期に多摩川の上流から綺麗な水を江戸城の半蔵門まで運ぶ上水道として四ヵ月で作られた人工の川だ。その支流が三田用水である。
その頃は水に圧力をかけるという方法はとれないので、川の高度を下げないように、谷を避け最も高い所を選んで上水道を作った。地図をみれば一目瞭然。谷間を避けて川が丘を流れている。玉川上水、三田用水は最も高いところを流れ、宇田川やその支流である河骨川は最も低いところを流れているのである。
今、上水も下水も暗渠(あんきょ)となり、開渠(かいきょ)になっているところはわずかである。一つ前の東京オリンピックの直前に埋められてしまった川を探して歩くというのが地形散歩のひとつの楽しみである。この地域は、丘の上水、谷の下水、地形無視直線の水道道路と、見どころ満載の地なのだ。
井の頭通りにぶつかったら左に曲がると交差点がある。交差点の向こう左手に斜めに登りの坂が見える。この坂道は裏道でよく使われるが、由緒正しき歴史ある道なのだ。
明治の地図を見ればよくわかる宇田川と直交する道で「鞍掛けの松」に通じる道だ。この道は多分平安時代以前からあった道なのかもしれない。斜めの道を、「ああ、この道は昔からいろんな人が通った道なのかあ」と、感慨深く登って行こう。すると頂上付近、山手通りの手前になぜか、お巡りさんが左側に立っている。
実はお巡りさんが立っているところから左の小径を行き、突き当たりを左に曲がり坂を下って行くと左側に「安倍さんの家」があるのだ。そう、お巡りさんは「安倍さんの家」を警備しているのである。「安倍さんの家」は南側が谷間のなかなかいい高台に建っているのである。地形的にとてもいい場所に家を持っているなあ、と昔から感心したもんだ。
この安倍さんの家の南の谷間もなかなか愉快な谷間だ。散歩して飽きない。宇田川の支流を作った谷底を歩いてもよし。まわりの高台から眺めてもよし。山手通りの向こう側の谷の先端を楽しんでもよし、の美しい谷だ。
昭和には谷の端に回教学校があった。回教。そうイスラム教の学校だ。井の頭通りと小田急線が交差するあたりに、今はイスラム的建造物があるのだが、昭和初期にここにあった回教学校と何らかの関係性があるような、ないような、そこらへんの歴史はよく知らないのでいつか調べてみたい。
この谷間の南に、昭和には土耳古(トルコ)大使館があったと地図は教えてくれる。ここにトルコ大使館があったから近くに回教学校があったのだろうか。今このトルコ大使館は「麻生さんの家」だ。ここにも入口にポリスボックスが置かれお巡りさんがいる。
話を戻そう。
昔からの街道を登り切り、山手通りにぶつかった角が「鞍掛の松」があった場所だ。行くと、鞍掛の松を説明する掲示板が立っている。
ここに「鞍掛の松」という松があって、この辺りは一本松と呼ばれていたそうな。源頼朝が奥州征伐にやって来た時に、ここで休憩して自分の馬をこの松につないで、鞍もこの松に掛けたとか書いてある。いや、源頼朝じゃなくて源義家だ、とも……。松は明治まで存在したが枯れて昭和17年まで新しい松がここに生えていたそうだ。
この小径はなかなか歴史的な街道なので、その先も歩くと、なるほど、昔からの街道の空気感を感じる。残念なことに井の頭通りから先、北東にはこの道はなくなって代々木公園が立ちはだかり、その逆方向、三田用水にぶつかる先は東京大学教養学部が立ちはだかり、なくなっている。
歴史の深い旧街道を楽しめるのは僅かな区間だけである。
宇田川に戻ろう。
井の頭通りを渡りまた宇田川の流れていた遊歩道を歩くと宇田川の支流の河骨川との分岐点にさしかかる。道が単純に左と右に別れているのでわかりやすい。右に行くと河骨川の流路だ。小田急線の横に出て小田急線と平行して歩ける道が河骨川の流路だ。この川が実は「春の小川はさらさら行くよー」と歌われた川である。
昭和の地図の川のすぐ横で道がカーブしているところに石碑がある。ここは道と流路の間に高低差があるのでちょっと道に登って石碑を確認すると感慨深い。当時の景色が頭の中に浮かぶ(浮かばないか……)。
地図では東急小田原線と書いてある。今の小田急小田原線は昭和初期には東急小田原線だったことがわかる(※編集部注:1942年からの約6年程度、戦後統制下で東急が現在の小田急や京急、京王、相鉄を合併、「大東急」と呼ばれた期間の話)。まあ、この小田急線の踏切を渡り、八幡神社や福泉寺の半島のような地形を眺めつつ半島の先端の手前の「切り通し」を通る。
ここの切り通し(山を削って通した道)はなかなか見事だし歴史を感じる。かなり前からあったような気がする。この代々木の八幡神社の半島の南は宇田川の支流が合流する場所で、かなりぬかるんだ緩い低地だっただろうから、道を作っても水没しやすかったのだろう。だからここに切り通しを作って街道を通したのではないだろうか。鎌倉時代の道は尾根道が多い。谷に道を作るのは危険だったのだろう。
切り通しを通って山手通りにぶつかると左手に代々木八幡神社の階段が見える。
明治初期の地図にはこの階段は描かれていない。描くのを忘れたのか、そもそも階段がなかったのかはわからない。明治初期の迅速測図はかなり描写が曖昧だ。
代々木八幡神社の階段を登って境内に入るとそこはもう東京を感じさせない。お祭りの日に行くと境内中に屋台が並ぶ。
50年くらい前、自分が幼かった頃、父の祖母のふるさと、岐阜の山奥の神社のお祭りを思い出すようなお祭りだった。こんな都会の真ん中で昔の田舎のような盛り上がるお祭りをやっているなんて凄いなあと思った。山の上で周りが木々に囲まれたこの地形だからこそ起こるタイムスリップしたような錯覚なのだろう。東京都内には、そういう昔の日本を感じさせるいい場所が多い。(ちなみに、この八幡神社は作家の平岩弓枝さんの実家らしい)。
八幡神社の階段の下の細い道は参宮橋に抜ける地形に沿って作られた昔からある道だ。この道を北に歩いて参宮橋まで散歩するのも楽しい。しかし、戻って八幡神社の前を南下し山手通りと小田急線が立体交差する陸橋の上から代々木八幡駅を見下ろしてみよう。
自分はこの陸橋から代々木八幡駅前を見下ろす風景が好きだ。この狭い雑多な景色が昭和の喧噪を喚起させられ、たまに泣けてくることがある。踏切。線路。電線。商店街。細い道。昭和を感じながらも、大正→明治→江戸→戦国→室町→鎌倉→平安と、時代を遡ってこの風景がどんなだったか想像する。ここは、宇田川の支流が集まっていた場所だ。四つの谷川が集まって一つの谷川へと流れて行く場所だ。地形ファンにとっては絶景ポイントだ。上から見ていると下に降りて宇田川の流路を辿りたくなる。
昭和の地図の上原小学校、代々木富ヶ谷町方向の谷川と辿るのもいい(現在、上原小学校は南西に移動している)。宇田川の本流を辿って北に進み交番の手前を左に折れて昭和の開渠が暗渠になった道を行き、橋の名残を発見するのもいい。
が、ここは、富ヶ谷小学校の横を小田急線に沿って西に向かって宇田川の支流を遡る。自然の流れだと流路が真っ直ぐということは考えられない。人の手が加わる前は蛇行して流れていたのだろう。どう流れていたか推理しながらだらだら歩くのもいい。だんだん上り坂になってくる先に小田急線を渡る歩道橋が見える。この歩道橋の上からの景色も格別だ。
小田急線を渡ってから昭和の川を辿るのが楽しくなる。蛇行する川がそのまま細い道になっているからだ。この川は昭和の地図の卍マーク(慶応寺)の南を通り蛇行して上原橋に至っている。蛇行している部分は道になってない。上原橋は今の上原商店街の道と、この川の交差する場所にかかっていたのだろうが、今はその残滓は残ってない丁字路になっているだけだ。
キャンドルジュンのお店もある“上原川の岸辺”
左側に川を感じながら上原商店街の道を西に歩くと右手に上原駅前商店街振興組合のこじんまりしたビルが見える。このビルは四方を道に囲まれているくせに、外から周りが丸見えのガラス張り、プライバシーゼロの一階部分を持つミニビルなのですぐわかる。
このビルの右、北側の細い道が川の流れていた道だ。この細い道に入った直後に右に触覚に曲がると右手に今回のオーガニックレストラン『110』がひっそりと店を構えている。
そう、この店は宇田川の支流の小川の岸辺のレストランなのだ。
この支流の小川の名前を私は知らない。なので、「上原川」とでも呼ぼう。「上原川」の岸辺のレストラン『110』。地形的に考えると谷底は地盤が緩いのでどうかと思うが、谷川の岸辺の料理店は結講おいしい店が多い。地盤が緩い分、土地が安くなる。土地が安い分、家賃が安くなり、その分、食材にお金をかけられるのではないか、というのが私の推理だ(谷底に凄くオシャレな家を発見するのも土地にかけず建物にかけられるという同じ理論w)。
店の紹介は後回しにするとして、この上原川をさらに遡って行く。上原川の小道は蛇行というかクランクになっている。クランクを過ぎた直後、二原橋の手前の右側に小さなロウソクの店がある。キャンドルアーティスト、キャンドルジュンさんのお店だ。上原川の岸辺には面白いお店が多い。
さらに進むと谷川は分岐し代々木火葬場方向と三角橋方向に別れる。代々木火葬場は、今は代々木斎場として葬式が行われる場所だ。少年ジャンプの編集長だった高橋俊昌さんが現役で過労死し葬式が行われたのもこの代々木斎場である。
代々木斎場に行ったのはその時、一回だけだが、この谷間を見下ろす丘の上に建てられた代々木斎場は明治初期にすでに火葬場として存在していたのだ。ここ周辺の丘や谷や崖も地形好きの大好物だ。しかもその谷間を避けて玉川上水が流れているのも感慨深いものがある。玉川上水は、今は桜が綺麗な遊歩道になっているので分かりやすい。地図を見ると蛇行しているのがわかる。北から南にのびる谷を避けて蛇行して作られたのだ。
地図の左上に上水分流点がある。ここまで玉川上水の遊歩道を歩いて来ると、笹塚橋が見える。ここから先、甲州街道と交差する手前まで玉川上水は開渠(川)になっている。それに対し遊歩道は暗渠(地下の下水道管)になっていると言う。先ほどから出てきている、開渠(かいきょ)と暗渠(あんきょ)という言葉は覚えておいて損はない川好き用語だ。
笹塚橋から先の開渠の玉川上水も大きく蛇行している。これは下北沢からの谷間を避けての蛇行だ。谷間を避けながら笹塚橋の南で玉川上水は支流の三田用水に分岐している。その分岐点の名残が残っているのでそこも確認しておくとよい。その後、三田用水に沿って川を下る。しかし、この三田用水は暗渠どころか今は使われていない。昭和40年代までは恵比寿ガーデンプレイスにあったビール工場に水を供給していた為に使われていたが、今、三田用水の跡地は売却されて、三田用水の幅にかわいい家が立ち並んでいる。その家々を見ながら三田用水の流れていた流路を確定していくのも三田用水ファンにとっては楽しい散歩である。
三田用水に沿って歩くと右手に東北沢駅が見える。最近この駅や線路が地下に潜り、踏切がなくなってしまった。道路も拡張する計画(環状6.5号線計画)で踏切付近がつまらなくなっている。が、地形は変わらないので地形的には面白い。三田用水が上原川の谷の終点(谷頭)二つと下北沢からの谷を避けて見事に作られているのがわかる。
東北沢駅手前の左側の谷を下って行くとかつて砂利卸し場のあった谷に入って行くし、井の頭通りあたりから右側に下れば下北沢の谷に三田用水から水を流していた川の流路を辿れる。東北沢駅を通り過ぎて三角橋の交差点の手前から右に入って行っても上原川の深い谷を堪能できる。上原中学がここら辺にある。上原中学なのに谷底にある面白い中学だ。
三角橋から三田用水を右に感じながら歩くと右手に昔風の格好いい時計台が見える。東京大学先端科学技術研究センターだ。昭和の地図を見ると帝国大学航空研究所とある。建物はこの帝大航空研究所のものでそのまま使っているのだろう(推測)。明治時代は農学校だったようだ。現在の東京大学の駒場キャンパスは、明治期は農学校だった。農学校が帝国大学に吸収されて今に至っている。
この先、三田用水は道路を渡って細い道沿いに走り、また道路を渡って右側に移るがこの三田用水の高さを感じると今も地形に残っている微妙な高低差が楽しめるのだが、ずっと楽しんでいると恵比寿や高輪まで行ってしまう。そろそろ地図の場所は歩き尽くしたので店に向かってもいいだろう。
ルートは五つw
1、一番西の上原川の谷間を通って坂を下って行く。
2、上原商店街の中を通りなだらかな丘の上を通って行く。
3、その東の谷間を通って行く。
4、そのまた東の谷間を通って行く。
5、そのまた東野丘の上の源頼朝か義家が使った街道を通って行く。
3、4、5はまた同じような場所を通ることになるが、ここの地形は面白く何度も鑑賞に耐えると思われるのでいろんな道を歩き味わってほしいw
健康を考えるおせっかいなオーガニックレストラン
さて、散々地形を味わって腹が空いたところでお店に入ろう。
このお店『110』。ひゃくじゅう。イタリア語で110のことをチェントディエチと言うらしい。
チェントディエチ。何度聞いても覚えられない店の名前だ。
オーナーシェフの苗字が伊藤さん。いとう。ということで1(い)10(とう)で110。それをイタリア語読みしました。という何ともおしゃれなのかダジャレ好きのオヤジ臭いのかわからないネーミングセンスのお店だw
このお店は代々木上原を散歩していて見つけた。何の気なしに入ったお店だが、美味しいので気に入って何度も行っている。オーガニックレストランということで体にいい料理を出すのが売りだが、そこは重要視してない。うまいから行くのである。
ただ、食べた次の日の体調というか便の調子がいい。ようなことを一緒に食べた人が言うので何らかの効果があるのかもしれないとはうっすらと思う。言われてみれば自分も次の日の調子がいいような気がする。気がするだけなので「体にいいよ」と言ってススメたりはしない。「うまいよ」と「まわりの地形が面白い」の2点が私のおススメポイントだ。
オーナーシェフの伊藤さんに食の安全と健康に関して訊くと延々、話を聞けるというポイントがあるのだが、それが好きな人にはいいかもしれないが、そういう話が嫌いな人もいるのでおいておこう。
実はこのオーナーシェフの伊藤さん。ちょっと前までは、オーガニックには関心がなかった人だった。日本料理とイタリア料理の修業をして普通のイタリア料理の店をこの場所でやっていた。その時店に来ていた外国人が、実はオーガニックを研究している人だったので何の気なしにその人の書いた本を読んでみたら妙に興味が出て来て、お店の方針を一転してオーガニックレストランに変えてしまったそうだ。このフットワークの軽さは、やはり、たった1人で店をやっているからだろう。
そう、この店は伊藤さん一人の店だ。オーナーシェフ一人が好き勝手に自分の独断でやっている店なのである。だからたくさんのお客はとれないw
その分、一人ひとりのお客さんへの配慮は深い。(と感じる)
一人ひとりのお客さんの健康を考えている。(そうだ)
いや、そこまで考えてくれなくてもいいんだけどw
伊藤さんの人生に影響を与えた本はこの本だ。オーガスト・ハーゲスハイマー。何度聞いても忘れてしまう名前だ。
この本を初めて読んだ頃の伊藤さんはちょっと肉付けがよかった。で、お店のメニューを変え、自分も食生活を変えたら、健康的かつスマートに。
なんだか健康商品を売りつけるサイトのようになってきたので健康話はここらへんにしておいしいメニューを。
なんせ1人で店を切り盛りしているのでいろんなメニューは出せない。定番にちょっとした変化をつける感じだ。オーガニック料理でありイタリア料理であり日本料理であり創作料理だ。
まずは最初にサラダ、そしてパン。
自分はこういうサラダがあまり好きではないがここのサラダは好きだ。
魚料理。
肉料理。
そしてパスタ。
みんなおいしい。
魚やパスタはイタリア料理というより日本料理に近い。
この日のパスタは梅がいい味を出していた。
貝類の料理もよく出てくるが、汁が日本風でダシが良く効いている。
肉はニュージーランドの牧草を食べて育った牛の肉。
これが癖になる美味しさだ。
何だかこういう肉、昔食べたけど、最近食べてなかったなーという懐かしい味。
塩は海塩を使っている。
このバリ島の大粒の塩がサラダや肉を美味しくさせている。イタリア料理でもあるのでオリーブオイルも美味しい。オリーブオイルにもこだわりがある。
いろいろ説明されたが、ここで書くより、実際にお店に行って食べながら伊藤さんにいろいろ話を聞いた方がいいと思う。何から何までオーナーシェフがこだわったお店だ。食事中から食後まで延々と話は尽きない。
無口そうに見えるが話し出すと止まらないこだわりのオーナーシェフが1人で料理をだす、上原川(今は暗渠)の岸辺に佇む日伊創作オーガニックレストラン『110』。おいしいので一度、行ってみては? オーガニックに興味ある人は是非行くべきお店w
みなさんの健康を考えるおせっかいなお店だw
あ、今の代々木上原駅は昭和初期の代々木上原駅より西に移動し大きくなっているので注意して下さい。散歩とかしなければ代々木上原駅から行った方がいいです。すぐです。
散歩が好きな人だけ渋谷駅からだらだら行ってみて下さい。
歩き散らしたら何時間も歩けます。
【メニュー】
ディナーAコース 3,900円
ディナーBコース 4,700円
ディナーCコース 5,200円
シェフおすすめコース 6,800円
※価格はすべて税別
110-CentoDieci-
- 電話番号
- 03-6699-1632
- 営業時間
- (ランチ 月・火、土・日 12:00~ 食材の仕入れの関係上、ランチはお休みを頂く場合がございます。 事前にHPの予約ページにてご確認ください)、(ディナー 月・火、木~日 19:00~)
- 定休日
- 毎週水曜日
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。