幸食のすゝめ#029、檸檬の香には幸いが住む、池ノ上。
「おにいさん、学生さんかい?いい若いもんが、そんな高い酒飲んでちゃダメだ」。
20代のはじめ、阿佐ヶ谷駅近くのカウンターだった。
僕と友だちの前に置かれた瓶ビールを見て、初老の先輩が声をかけて来た。
しかし、当のご本人は水色のラムネの瓶をラッパ飲みしている。
なんだ、下戸か? そう思って見ていると、隣りに琥珀色の液体がなみなみと満たされた小ぶりなコップがある。
ウイスキーか? と思うまもなく、「日本の酒、焼酎は♬」と、不思議な唄を低い声で歌い出した。
コップに注がれていたのはストレートの甲類焼酎。
琥珀色の正体は、醤油の空き瓶に入れられた梅エキスだった。
現在も立石の『宇ち多゛』や吉祥寺の『いせや』、新宿思い出横丁の『かぶと』などで出逢う焼酎の梅割りこそ、当時の焼酎のポピュラーな飲み方だった。
なぜなら、まだ国民の酒「レモンサワー」は城南地区の片隅で誕生したばかり、一般には浸透していなかったからだ。
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サワーを発明した店は、中目黒の土地開発で惜しまれつつ閉店し、祐天寺で蘇った『ばん』。
その誕生時そのままの、半個の檸檬と金宮焼酎、博水社の炭酸で作られる元祖レモンサワーを飲めるもつ焼き店が井の頭線の池ノ上にある。
『かる小屋』、一風変わったネーミングは、店主の名前、「かずひろくん→かずくん」が訛ったもの。
北海道で暮らしていた少年時代のあだ名、「かるこん」から来ている。かるこんの店だから、かるこん屋→かる小屋という訳だ。
上京後、会社員を経て退社。
失業保険が途絶えかける頃、ちょうど通りかかった茶沢通りのもつ焼き屋『久仁』に貼り出された「求人募集」と出会う。意外に高かった時給に惹かれて「ココに入るか」、何気なく潜った縄のれん。
その内側で12年間過ごすことになるとは、その時はまだ予想だにしなかった。
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店主の久仁さんは、サワー発祥の店『ばん』の最盛期を支え、独立。三軒茶屋と下北沢を結ぶ茶沢通りに、自分の城『久仁』を開いた。ばん譲りのもつ焼きとレモンサワー、懐かしい糠漬け。瞬く間に『久仁』は、三茶を代表する繁盛店になった。
昨年の5月に多くのファンに惜しまれつつ閉店したが、その最盛期の焼き場に立っていたのが、「かるこん」こと佐々木和浩さんだ。
そして、師匠と同じく、かるこんは『久仁』の最盛期を支え、独立。
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高級住宅街の代沢と下北沢を繫ぐ池ノ上に『かる小屋』をオープン、今年でちょうど8年目になった。
ばん→久仁→かる小屋という正統派もつ焼きならではの、端正でさっぱりとした焼き具合はテーブルの洋芥子と相性が良く、元祖レモンサワーと一緒に何本でもどんどん食べられる。
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毎日、芝浦に仕入れに行くもつ焼きは、かしら、タン、ハツ、がつ、レバー、ナンコツ、つくね、トントロ、ハラミ、子袋、わっぱ(産道)、おっぱいというバラエティ。
何本ずつという縛りがなく、1本ずつ頼めるのも嬉しい。
いわし丸干やにんにく(丸焼)、氷下魚やイカの口、うなぎ短串など、もつ焼き以外の居酒屋メニューが充実しているのも、毎日通う常連たちに優しい心遣いだ。
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ゴールデン街のレモンサワー屋『The OPEN BOOK』のオープン辺りから、巷は空前のレモンサワーブームを迎えようとしている。
ここで1つ、正統派・元祖レモンサワーの味を楽しみに池ノ上の閑静な街並を訪ねるのはどうだろう?
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ボイルするのではなく、2串分を丁寧に焼いてから、香味野菜とポン酢でたべる「しろ刺」や、チゲ鍋風の『ばん』とは違い、甘辛く煮た「豚尾」も人気が高い。
故郷で漁師を継いだ友人から届く北海道の食材も格別だ。
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「深夜食堂」のヒット以来、小林薫似のかるこんを訪ねてくるモツエンヌたち、近くに住む美容師や古着屋さん、銭湯帰りのお父さんまで、かるこんが作るレモンサワーの味に酔い、通い詰めている。
ここには昭和から続く大衆酒場の魅力が満ち溢れている。絞ったばかりの檸檬の香には、幸いが住んでいる。
<メニュー>
もつ焼き(全品)130円、しろ刺350円、豚尾350円、にんにく丸焼き300円、いわし丸干220円、イカの口150円、
レモンサワー350円、瓶ビール550円、
※本記事に掲載された情報は、掲載日時点のものです。また、価格はすべて税込です。
もつやき専門店 かる小屋
- 電話番号
- 03-3468-8387
- 営業時間
- 16:00~23:00
- 定休日
- 定休日 日・祝
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。
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