つまるところ、肉の魅力は「Wild & Sexy」という両極の間に集約される。荒々しく繊維を引きちぎるようにガブリとやるか、愛でればあふれる肉汁とともに口のなかで身肉をとろかすか。
例えば、ガブリとやりたい肉を想像してみる。イメージとしてはこうだ。
ドライエイジングをかけたブラックアンガスの骨つきリブロース――トマホークの表面をガリッガリに炭火で焦がし、脂を焼き切り、最後に鉄板でキャラメリゼを入れる。肉の芯温はミディアムくらいまで上げてもいい。レアばかりがもてはやされるが、ある程度火を入れないと得られない味わいもある。鼻に抜ける炭で燻された香ばしさ、そして肉の繊維感を歯で断ち切る噛みごたえ。これこそが肉である。肉はWildであってほしい。
一方、口のなかをなまめかしく刺激するような官能的な肉を想像してみる。焼きとしてはこんな感じだろうか。
北海道の森を駆けた、エゾシカのロースを炭火でいたわるように焼き、58℃のコンベクションオーブンで全体をじんわりと温める。その後再び、炭火で香りを立たせ、最後に鉄板で上品な焼き目を入れる。内部まできっちり温まったレア中のレア。肉塊に沈んだナイフの脇から紅潮した柔肌が覗く。口に運べば吸いつくように口内の全粘膜を刺激する。これこそが肉である。肉はSexyでなければならない。
もっともWildとSexyをひとつの店舗で味わえる店はそう多くない。双方の焼きには異なる技術が求められる。そしてどちらも一朝一夕で身につく技術ではないからだ。ときに両者を融合させる店もあるが、いずれにしてもWildとSexyの間のどこかに落ち着く例が多い。
だがこの店は違う。今年の4月にオーナーもシェフも交代した青山の『M'S AOYAMA』では荒々しいWildと蕩けそうなSexyという両極端の肉を一人のシェフが演出する。暴虐と官能の間の広大なクレヴァスを軽々と飛び越えていく。
一度でこの両極を陥落させるには随行者が必要だ。できれば2~3人。ただし随行者は厳選しなければならない。香ばしさとボリュームで乱暴に攻めてくるトマホークを打ちのめしながら、しずしずと口内に忍び込む柔肌を優しく扱える機微も必要だからだ。随行者を確保したら戦略の方向性と量を店に伝える。あとはこの店の本領を存分に楽しめばいい。
例えば、鳴門金時芋の燻製ポテトサラダからスタートしたある晩の例だ。男性的な燻香からスタートしたのに、いきなり2品目に官能的な皿がやってきた。
これである。フルーツトマトで大切に守られているのは、「バター入りの」という意味を持つイタリアのチーズ、ブッラータだ。モッツァレラの内側に濃厚な生クリーム&もう一段モッツァレラが包まれている。ナイフを入れ、カットされた白くやわらかい塊を口に運ぶと、その上に削り注がれたトリュフが香りまくる。瞬間、肉のことを忘れそうになる。
いけない。意識をしっかり持たなければ。
まだ前菜の1品目と2品目でしかない。早くも荒々しさと官能のギャップに気が遠くなりそうだ。こうした店は、あの手この手の快楽で食べ手を籠絡し、陥落させようとするに違いない。ちょうどこのあたりでスパークリングを飲みきり、ソムリエがワインをすすめてくる。(もちろんありがたく頂戴するが)決して気をゆるめてはならない。
と、こちらが身構えるとすっと肩の力を抜くような皿が差し出される。地野菜のローストだ。シャクッとしたレンコン、天然のジュースがあふれる巨大な岡山産マッシュルーム、自然な甘みがしみ出す京人参。ひと口ごとに血液がきれいになっていくような感覚に陥ったところに調子を変えて、ミディアムに焼かれた分厚いアオリイカが供される。引き締めたはずの口角がすぐゆるんでしまう。
そしてその頃、目の前に調味料の山が展開される。
山椒塩、九州の甘醤油、ポン酢、山わさびの西京味噌和え、わさび、そして発酵マスタードに醤油をひとたらししたもの。予鈴が鳴った。ここからが本番だ。そう身を引き締めた目の前の皿に肉が置かれた。
先に挙げたエゾシカのロースである。ピンク色の肉塊にナイフを入れるとどこまでもキメの細かい肉がまとわりつく。ナイフ越しであってもなまめかしい……。
エゾシカだから、同じ北海道の「山わさびの西京漬け」で行くのもいいが、この店の(調味料の)スペシャリテ、和風発酵マスタードが実にいい。エゾシカのような草食動物には淡白なのに独特の味わいがあるが、この発酵マスタードは味を膨らませながら適度に引き締める。サシの量や肉質など広いレンジの肉に対応してくれるはずだ。
お次はこれ、熊本あか牛のフィレである。
北海道の山林の若芽が香るエゾシカから、九州の牧草育ちのあか牛まで味わいが一気に南下した。冷涼な北海道と温暖な熊本の違いは明確。ロースからよりキメの細かいフィレへと移行したはずなのに、肉らしい力強さはむしろ増している。表面の焼き目も一段深く、力強い味わいの背中を押す。雑味はないのに噛むほどにコク深い。だがあくまでフィレはフィレ。ほどなく、その幸せな時間は喉の奥へと消えていく。
そしてこのあたりで、人数による分水嶺は訪れる。少食な人ならもう満足する人もいるだろう。たいていの人はここで〆に流れるが、1~2名で訪れたなら、いったんこんな展開もありかもしれない。
アンガスビーフのハラミである。がっちり焼き目を効かせ、ザクザクとした弾力ある肉の繊維感も強い。奥に見えるガーリックチップがあまりにも似合う男性的な味わい。1~2名で訪れてもこうした流れが楽しめる。
そして3~4名ならばここで冒頭のトマホークである。順を追って見ていこう。
まず生の状態がこれ。
脂身を中心に土佐の備長炭で焼きと休ませを繰り返し、
最後に、鉄板で表面全体に焼き目の香ばしさを塗り重ねる。
Sexyなのももちろんいい。だがこの荒々しさこそが肉の本質だ。肉を前にどうすべきか、ますます悩みは深くなるばかり。Wild相手なら2人いれば戦える。Sexyならば1人占めも悪くない。だが行くたびに必ずこの両極を制覇しなければならないわけでもない。
実のところ「Wild & Sexy」は「Wild or Sexy」だったりもする。ときに荒々しく、ときに色っぽく。気分に合わせて好きな方を愉しめばいい。なんと言っても、この店では〆にこんな乱暴なものまで用意されている。
メニュー名の通り「贅沢な卵かけ御飯」。米は青森のつがるロマンと、こだわり赤玉子の……などと言う話すら無粋だし、うんちくにはキリがない。ざっくり言うと「おいしいごはんにおいしい卵をかけ、フレッシュトリュフとトリュフ塩を散らしてトリュフオイルをひと垂らし。隠し味に少しの鰹節を忍ばせ、いりゴマをパラリと振ったもの」。最初は卵黄を切るように崩し、味ムラを楽しみながらトリュフの芳香を口内から鼻腔に抜く。その後、添えられた甘醤油をかけるもよし、ざっと混ぜてかっこむもよし。
当然ながらうまい。バカみたいにうまい。思わずその場に倒れ込みそうになる。トリュフの強風に全身が根こそぎ持っていかれそうになる。
「これが一番うまかったって冗談交じりに言う人もいて困るんですよ(笑)」(川崎亮シェフ)
主役はもちろん肉である。その上で、どこまでが冗談か。確かめるのは、店を訪れた一人ひとりの舌である。
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シェフの川崎亮さんは『BLT STEAK』など数々の店舗で腕を奮ってきた肉焼き職人。「いまの焼きが一番いい」という。今年の4月以来、前オーナー時代の店名のまま営業していたが、12月上旬店名を『M's AOYAMA』に改称。名実ともにリニューアルとなる。ブラックアンガス牛のドライエイジングトマホーク(骨付きリブロース)700g前後6,200円、ハンギングテンダー(ハラミ)100g1,400円、熊本あか牛フィレ100g5,500円、徳島県産"鳴門金時"の燻製ポテトサラダ850円、ブラータチーズ フルーツトマトとトリュフ1,950円、贅沢卵かけ御飯650円。ブラックアンガス牛のハラミを使った、ランチのステーキサラダ1,400円は肉、野菜ともボリューム十二分で糖質制限食としても秀逸。ランチ不動の人気No.1。
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M'S AOYAMA
- 電話番号
- 03-6427-3270
- 営業時間
- 12:00~15:30(L.O.14:30)、18:00~23:00(L.O.22:00)
- 定休日
- 月曜
- 公式サイト
- http://mssteak.com/
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※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。