東京・島津山の住宅街に佇む『ヌキテパ』は、南仏の避暑リゾートを彷彿させるような、緑に囲まれた光がたっぷりと差し込む一軒家レストラン。魚介や野菜が本来持つ“命の力”をテーマにしたフランス料理のお店だ。
こちらでいただけるコースの一つで世界中から注目を浴びている料理がある。それが、「土料理のコース」だ。「僕はシェフになった頃から、日本中の田畑を回って素材を探してきました。その中でおいしい野菜はいい土づくりから始まり、農薬を使っていない土は食べられるということを農家の方から学びました。確かに調べてみると、縄文時代や江戸時代後期まで、日本人も食べていたという歴史もあります。とくに山に住む人々たちのミネラル源として土は食べられていたようです。究極の素材を探している中で見つかったのが“大地”だったんです」とシェフの田辺年男さんは話してくれる。
「土を食べさせるレストラン」というのも変わっているが、田辺シェフの経歴もまた異色だ。日本体育大学時代には体操のオリンピック候補選手に選ばれるほどの優れた身体能力を持っていた。卒業後はプロボクサーに転身し、日本バンダム級でランキング入りするほどの活躍を見せる。しかし身体を壊したことをきっかけに引退。その後、料理人としては遅咲きであろう29歳で、料理の世界に飛び込んだ。まず、新宿歌舞伎町でおでんの屋台を始めたという。料理をしたことはなかったが、さまざまな工夫を凝らしたおでん作りに、常連客がどんどんと増え、大繁盛店になったという。しかし、「おでん屋の親父で生涯を終えるのは、つまらない。料理の世界のトップはフランス料理だ」と、スポーツ選手らしい高みの目指し方で単身フランスに渡った。
ツテがあるわけでも、フランス語を話せるわけでもない。フランス料理をならったこともない田辺さんが門を叩いたのは、まさかの三つ星レストランだった。フランス料理初心者ながらも、その情熱が伝わり、3年ほどの間に3軒のレストランで、がむしゃらに働いたという。帰国後は、レストランのスーシェフを務めた後、独立。恵比寿で8坪ほどの魚料理をメインにしたフランス料理店『あ・た・ごおる』を出した後、そちらも瞬く間に繁盛店に。1994年に現在の店である『ヌキテパ』のオーナーシェフとなった。
「土の料理」はどのように創るの?
さて、そんな異色の経歴を持つシェフが作る、これまた異色の土を使ったコースの一部を紹介しよう。まず、一皿目は「びっくり土」という料理(写真上)。ふかしたジャガイモの中にトリュフとバターを入れ、土でコーティングした一品だ。
いったい、土がどうやって使われているのか。田辺シェフが使用する土は、栃木県鹿沼の山奥にある、鹿沼土。鹿沼土は世界的にも水はけのよさで有名だ。4~5mほどの深さから掘り出した土をオーブンで130℃で殺菌する。その後、たっぷりの水で煮た後、大きな目のザルで砂や小石を除いて、細かいな目のザルでさらに細かい砂を排除する。そして、最後に布で裏ごしをし、滑らかになった泥状のものを使用する。土は冷めたら、底に沈殿してしまうのを避けるため、ゼラチンを入れてほんの少しのとろみをつけてから料理に使用。土の風味とミネラル分を最大限に味わってもらうため、余計な味付けはせずにそのまま使う。ひと口食べると、土の味をダイレクトに感じる。「土は無味無臭なので、どんな素材にも合いますが、根菜類とは特に相性がいいんです」と話してくれる。
メイン料理は、『ヌキテパ』のスペシャリテでもある魚料理。三浦半島の三崎港の網元から直送される新鮮な魚を調理。この日は「石鯛 土のソース」(写真上)。カリッと焼き上げた石鯛に、ソースはバターをほんの少し足した土のみ。「土のミネラルと海のミネラルが合わさるんだから、相性が悪いはずがない」と田辺シェフ。土と石鯛の香ばしい香りが口の中に広がる。あしらわれている野菜もすべて無農薬の新鮮なもの。「うちの野菜は虫食いだってある。けれど、虫も食べない野菜はおいしくないという証拠。素材の持つ力を信じて、そのおいしさの原点を伝えて行きたいですね」。
土を食べることは食の原点を知ること?!
デザートももちろん、土を使ったもの。「土のグラタン」(写真上)はクレームブリュレに土をトッピング。クレームブリュレの濃厚な甘みに、土特有の香ばしさがアクセントとなった一品だ。
そして、デザートのもう一品は「土のシャーベット」。土を料理に仕上げていくのは、さぞいろいろな工夫をしているのだろうと思いきや、こちらの料理はいたってシンプル。土に砂糖を入れて凍らせたものだ。新鮮な驚きとともに、さっぱりといただけるからまた不思議。田辺シェフ自身、土の上澄みは、本当にそのままでおいしいものだと感激した経験から、このような土の味を引き立てる料理に行き着いたという。
世界広しといえども、土のフルコースを成立させているのは、ここ『ヌキテパ』だけだろう。
「世界中のメディアが取材に来ますね。スペインやイギリスなど欧米のメディアの他にも、アルジャジーラ放送局まで取材に来ましたよ。来ていないのは、北朝鮮と中国くらいなものです」と笑う。
訪れるお客さんは、カップルから海外の有名店のシェフまで幅広い。土のコースを食べ終えた人は、「体の中から、すっきりとした気分になった」という感想を話す人が多いという。世界で土食の歴史を見ても、心労回復のために土を食したり、妊娠した女性が地面の土を食べていたという歴史もある。また、胃腸に不調が起きた時などに土を食べる動物がいることも確認されている。土食は、人間や動物の体内浄化の本能から起こる欲求なのだろう。
究極の食材を見つけたら、それが大地だった・・・。食の原点に立ち戻れるような土のコースをぜひ、ご堪能あれ。
(文/千葉泰江・撮影/岡本寿)
【メニュー】
土のコース 10,000円
定番料理3皿のコース 6,500円
シェフおすすめの4皿のコース 10,000円
※価格は税・サ抜
ヌキテパ
- 電話番号
- 03-3442-2382
- 営業時間
- 12:00~15:00(L.O. 13:30)、18:00~23:00(L.O.21:00)
- 定休日
- 月
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
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