幸食のすゝめ#035、重ねられた手間には幸いが住む、神山町。
「お互いがそれぞれの心を思えるのは、なんて素敵な世界なんだろう♪」、オープニングパーティー用の仮設ステージで、京都のブルースマン、ゴトウゆうぞうさんが、サッチモのスタンダードを歌っていた。
「森ちゃん、ココええ?」厨房のエプロンを外しながら、僕の隣りに節っちゃん(藤村節さん)が座った。ゆうぞうさんは今でも月イチで、京都の『拾得』でライブを続けている。日本最古のライブハウス『拾得』で、大阪生まれの節ちゃんは、初めてブラウンライス(玄米)を食べたと言う。
1998年の終り、慶應義塾大学の古い寮や昔ながらの町工場が残る三田の裏通りで『アダン』がスタートした。
霞町の『クーリーズクリーク』、鎗ヶ崎交差点近くの『スワミ』、青山の『カイ』、恵比寿三丁目の『ケセラ』。いつも、時代を牽引する店を東京に作って来た河内一作さんが久々にソロで作った店は、煉瓦造りの蔵だった。
当時の三田にはまだ白金高輪駅はなく、正に陸の孤島。それは、青山『カイ』という例外を除いて、いつも「客がわざわざ訪ねて来てくれる場所がいい」という一作さんのコンセプトを体現していた。
でも、『アダン』にはもう1つ、大きなチャレンジが仕掛けられていた。
蔵の内観を活かした店の中には、オリオンビールのサーバーが置かれ、棚には八重泉や菊之露など泡盛のキープボトルがずらりと並ぶ。かかる音楽は、沖縄からニューオリンズ、ハワイと、水の音が聞こえるグッドミュージック。
田中一村の絵で有名なアダンの木の看板は、黒田征太郎氏の書き下ろし。でも、最も尖った店のエッジは、節っちゃんという調理のプロではない女性に厨房を仕切らせたことだ。
70年代、スウィンギングロンドンに憧れて渡英した節っちゃんは、2年後、ヨーロッパからインド、ネパール、アジア諸国を放浪して帰国。旅の途中の禅寺やコミューンで、自然食に出逢う。
上京し、マクロビオティックの走りだった桜丘の『天味』へ。当時、日本に滞在したジョン・レノンも通った店だ。店でホールを務めながら、休日には家族や友人、大切な人たちに丹誠込めた手料理を振る舞った。
その時、客の1人が一作さんだった。
インドネシアやタイ、沖縄、ハワイと、常に酒場では馴染みが薄かった異郷の料理をプレゼンテーションしてきた一作さん。その最終解答が、何の衒いもないごく普通の家庭料理だったこと。客たちは、その事実に驚きながら、いつのまにか週に何度も通ってくるようになった。
名前が分かる生産者たちが丹誠込めて育てた野菜や旬の食材を、丁寧にだしを引き、化学調味料や添加物を含まない調味料で調理した家庭料理。それは、どこにでも普通にありそうでいて、決して出逢わない料理。毎日食べても食べ飽きない家庭料理を、一切の手間を惜しまず溢れんばかりの誠意で作り上げたひと皿だった。
心を込めたひと皿を、目の届く距離で
インゲンやオクラなど、煎りたての胡麻を粗擂りした季節の野菜の胡麻和え。酢〆の鰯は優しい味のおからで和えられていた。ほっこりとした味に箸が進む、百合根の卵とじ。潰した大豆で作ったコロッケ、蒸して金ザルで漉した里芋を油揚げに詰めたすり身揚げ、手作りのがんもどき。徹底した下拵えと手間を経て完成する心を込めた家庭料理は、節っちゃんの真心そのままだった。
2016年、土地開発のため三田の『アダン』は立退きになり、泉岳寺の広い一軒家に移った。その時、節っちゃんが選んだ答えは、より自分の手と目が届く距離感の中で、客たちに料理を食べて貰うことだった。
アダン発おふく行、家庭料理の完成形
『アダン』時代に培われた節っちゃんメニューの完成形を供する『おふく』は、近年、奥渋として話題を呼ぶ東急本店から代々木八幡に抜けて行く神山町の通り沿いに建っている。
派手なメニューも人を驚かす仕掛けもないが、身体が本当に欲している優しい料理と、瀬戸内レモンのレモンサワーや、先割りの黒糖焼酎など選び抜かれた美味しい酒が待っている。
ある晩、節っちゃんの手元を覗いたら、おからと〆のかやくごはんに使うための食材が、お行儀よくバットの中で整列していた。重ねられた手間には、幸いが住んでいる。
<メニュー>
いわしの酢じめ おから和え800円、里芋のすり身揚げ900円、大豆コロッケ900円、
かやくご飯(おしんこ・みそ汁付)800円、ハートランド生700円、芋焼酎仕込水割り(1合)800円、
※本記事に掲載された情報は、掲載日時点のものです。また、価格はすべて税込です。
おふく
- 電話番号
- 03-5465-7577
- 営業時間
- 18:00~24:00
- 定休日
- 日・祝日(土曜はバー営業のみ)
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。