KOBE BEEFの名声は、慶応4(1868)年の開港にからむ外国船相手の初の牛肉店『大井肉店』に遡る。
それまで農耕に使っていた兵庫県北部の但馬地方の在来種・黒毛和牛が、早い時期から神戸外国人居留地ほかに集められ、それが横浜にも運ばれ「最高品質だ」という、1870(明治3)年の英字新聞の記事もあるほどだ。
またそのころの絵記事に、「諸缶詰売捌所・鈴木見勢」という「神戸名産牛肉缶詰製造所」のことも残っている。
ただ、「神戸ビーフ」がすなわち「神戸ステーキ」として広く知られるようになるのは敗戦後のこと。
とりわけ神戸にあったお好み焼き屋が、進駐米兵にステーキ肉を鉄板で焼いて出したことが始まりと言われている(生田神社前『みその』)。
神戸に住むようになって30年を超えたが、神戸の地元民はあまりステーキハウスへ行かない。
肉屋に行って三田牛や但馬牛の100g 2千円のヒレ肉を張り込んで買って、家で塩と胡椒だけ振ってフライパンで焼くだけで、同等のビフテキが食べられることを知っているからだ。
料理が実に単純なうえ、これなら店の半額で食べられる。
明治時代から三田や但馬といった産地に恵まれている神戸人は確かに牛肉好きだ。
洋食屋では「トンカツ」よりも「ビフカツ」が主流だし、お好み焼き屋に行けば、「豚玉」より「スジこん」を頼む。
最上級は焼肉ホルモンだろう。
わたしは大阪出身なので、当然「焼肉ホルモンは大阪の生野やろ」と思っていたが、神戸に長く暮らすうち「これは神戸の方がレベルが高いんと違うか」と思うに至っている。
古くからの在日コリアンの集住地である長田区は、大阪の生野と比べてもうまい焼肉ホルモン店が集中するところだ。
日本有数の焼肉店が密集するエリア・鶴橋を有する生野と違うのは、「観光客」が来ないことだ。
地元大阪人が「鶴橋に行く」と言うことは、すなわち「焼肉ホルモンを食べに行く」ことであるほど知名度は高い。
前置きが長くなったが、神戸の中心地・元町から北西へタクシーで2~3メーターの絶妙なところに、いつも満員の焼肉ホルモン店がある。
この店が関西の焼肉好きグルメに知られ出したのは90年代に入ってから。
メディアにすごい勢いで登場したのは阪神淡路大震災の後だと記憶する。
店主が母親のあとを継いだばかりの何の変哲もないコリアン系焼肉ホルモン店であったが、震災でガスが止まったのをきっかけに、昔からの炭火カンテキ(七輪)焼きに戻し復旧した。
そしてそれまで赤身かタンぐらいだった「塩もの」に、テッチャンを加えて出した。
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