幸食のすゝめ#051、見渡せる城には幸いが住む、目黒本町。
立ち退きが惜しまれた、武蔵小山民に愛された店
東の酒都・立石と並ぶはしご酒タウン武蔵小山では、そのツアーの〆として、豊富な料理が揃う『長平』を覗くのがムサコ飲んべえたちのコモンセンスだった。駅前再開発のほぼ終盤に立ち退きになった『長平』最後の夜は、道路に溢れ出した酔客たちを地元の警官たちも笑顔で見守っていた。
ムサコ・ドリーム
スナックが建ち並ぶ今は無き武蔵小山のラビリンス、飲食店街りゅえるの裏小路に突然出現し、瞬く間に東京中を席巻したせんべろの殿堂『晩杯屋』。最近、丸亀製麺の買収劇で世を騒がせたムサコ・ドリームの出発店。
夢の入口になった小さな店で、最高の売上げを記録した時の店長が『長平』のミツルくんこと、川上充氏だ。
客から丸見えのオープンキッチンで、居心地悪そうに黙々と包丁を動かしている姿が彼との出会いだった。
魚好きのパラダイス
やがて期限付きの店舗で『長平』を開店、故郷佐渡の酒である北雪を中心に日本酒のメニューも充実。サワーや酎ハイ用の焼酎も、下町の定番キンミヤに変わった。
もともと釣りのために船舶免許を取得する程の魚好き、扱う魚の種類も鮮度も様変わりして、店はいつか魚好きのパラダイスになって行く。もちろん、〆に出される佐渡の米も飛び切りうまい。
自分の目が隅々まで届く自分の城で、自分が納得の行く食材を出す。その頃から、実は笑顔が無邪気なミツルくんと、カウンターの向うとこちらで少しずつ話すようになった。
品川区から目黒区へ
ピカ、ミオリン、何人かの女性アルバイトが卒業し、スタッフのユリちゃんが寿退社した後、武蔵小山に憧れ、休日に飲みに来ていた元『九十九ラーメン』の田中ちゃんがスタッフに加わり、店のパワーはさらに高まった。
しかし、非情のデッドラインは街を根こそぎ切り裂いて行く。なにしろ、りゅえるの街ごと丸々そのままを超高層のスカイスクラッパーに変えてしまうプロジェクトだ。立ち退いた店たちは一斉に移転先を探し、ムサコは一時期、引越パニックの様相を呈した。『長平』の移転先も二転三転したが、駅の反対側、小山台高校裏に素敵な場所が見つかった。駅向うは目黒区、この辺りは目黒本町になる。
ムサコ通の到達点、長平が帰ってきた
待ちに待った、長平難民たちの帰還の時だ。
1人か2人飲みはカウンター、3人連れ以上や待合せ組はテーブル席に陣取って40種近い小鉢メニューから、まずは3点盛りを頼んで、ここに来たらマストの長平盛りを待つ。かつての店で繰り広げられた懐かしいシーンがそのままリバイバルする。奥の個室には、さっきから近隣のマダムたちが1人2人と思い思いの美尻グラスを手に、ドアの向うに消えて行く。同じ目黒本町に本社を構える博水社のノベルティは、実は女性たちにも大人気だ。
口開けからのお兄さんたちは、もう〆のタイ風炒飯を注文している。
3倍のキャパに無限大のホスピタリティ
陽光を取り込むガラス遣いが、モダンな昭和の匂いを運ぶエントランス。カウンターとテーブル、個室を合わせると、キャパは前店の3倍、MAXで50人は収容できる。
前の『長平』で、何度も何度も入れないお客を帰した申し訳なさには、もう出逢うことはないだろう。
「でも、いくら店が広くなっても自分の目が届く店にしたいんです。いくら客でいっばいになっても、見渡せない店にはしたくない」、長平盛りの鯛を引きながらミツルくんが言う。見渡せる城には、幸いが住んでいる。
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