幸食のすゝめ#055、注がれたグラスには幸いが住む、荒木町
「2014年って、この地域、ダメな年じゃなかった?」、オーナーソムリエの永島農さんと同い年の女性ライターがポツンと話す。彼女はワイン全般に造詣が深く、永島さんとも旧知だからこその素朴で正直な疑問だ。
「ダメな年なんてないの。たとえ天候に恵まれなくても、造り手は必死な思いで最大の努力をしているんだから。だから、悪い年とか、良くない年とか言っちゃダメ、雹がいっぱい降ったからダメだとか…。寒くて冷たい冬があったからこそ、温かい春が来るんだから」。
確かに2014年はいろいろな地域で、天候に恵まれなかった年と言われている。葡萄畑に雹が降り、深刻な被害を与えて、ワインの仕込み自体を諦める造り手もたくさんいたと聞く。
「でも、大変な年だからこそ、可愛い子どもを世に送り出すように、素晴らしいワインを造り出す人たちがいるんです」。
『フェリチタ』支配人だった頃から、永島さんは新進の造り手や、小規模生産者のワインをペアリングしてきた。ありきたりのアプローチではなく、積極的で攻めたペアリングは世のソムリエたちに大きな影響を与えている。
「僕が関与した意味、介在する意味。それがなければ、人にワインを注ぐ資格がない」。
永島さんを語る時、決して外せないワイン、スロベニア国境、カルソ地区にワイナリーを構えるヴォドピーヴェッツもその1つだ。カルソ地区はイタリア北東の外れに位置している。葡萄の品種はヴィトフスカ、この地でしか育てられていない土着品種だ。生産者は非常に少なく、10人に満たないと言う。
「1999年を初めて太田さんと飲んだ時、なんだ!このワインは!と思ったことを、今でもはっきり覚えています」。
太田さんとは、数々の素晴らしい造り手とワインを、その哲学や理念ごと日本に輸入してきたヴィナイオータの代表だ。
ヴォドピーヴェッツを飲み始めた頃、その官能的な美味しさに打ちのめされながらも、ヴィンテージ毎にずいぶん違う印象を受けるワインに狼狽した。でも、やっぱり、どうしても飲みたくなってしまう。ファムファタールのように、訳が分からないまま、いつか身を焦がされる官能に満ちていたからだ。
「むしろヴィンテージ毎に安定している方が、不自然なことだと思うんです。天候も微生物の働きも、年毎に変わる。それは、葡萄の皮についた酵母だけを使う、彼みたいな造り手なら当然のことだと思います。微生物の爪痕さえ、その年の特徴だから、その年らしさをそのまま残す。飲んでいる僕たち人間がフラットじゃないのに、ワインに均一化を求めるのは変ですよね」。
大人の街、荒木町。メインの杉大門通りと並行する車力門通りに入り、しばらく歩くと小路の入口に白地に黒の端正なロゴで『HIBANA』という道案内の看板が見つかる。右折して、ビルの3階まで昇ると、重厚な黒い扉がある。
扉を開けると、蓄音機とヴァーチャルな火花、静かにクラシックが流れる永島ワールドが待ち受けている。
「テイスティンググラスで、自分の好きな音楽をかけている店じゃなくて、ちゃんとしたグラスで、ちょうど飲み頃のワインを、いちばん美味しいシチュエーションで飲んで欲しいんです。ここは、大人の街ですから」。
注がれるものは掛け替えのない時間
バルバカルロとモンテヴォーノ、カッペッラーノ、そして、もちろんヴォドピーヴェッツやトリンケーロ、フランク・コーネリッセン、ラディコン、カンティーナ・ジャルディーノ…。永島さんがグラスに注ぐものは、『HIBANA』にしかない、ゆったりとした掛け替えのない時間だ。
そろそろ最後の一杯と考えていると、極上のマールや、ネッピオーロに薬草を漬け込んだバローロ・キナートがそっと置かれる。選び抜かれた、でも重厚ではない普段着のヴィンテージ・ウイスキーも用意されている。
自然という定義の曖昧さと難しさ
「世の中のみんなが扱いづらいもの、売りづらいもの、とても素晴らしいのに未だ評価が定まらないものを取り上げて、積極的に提案していきたい」。
決して流行で片付けてはいけないものが流行りかけている現在、「自然」という曖昧な定義でワインを縛り付けてはいけない。「自然だから美味しいのではなくて、美味しく造ったら結果として自然な造りになったんです」。
永島さんの真摯でストレートな信念は、むしろパンクなのかもしれない。そして、それは自然と闘い、格付けと闘って来た造り手たちの精神としっかり重なり合っている。注がれたグラスには、愛と幸いが住んでいる。
『HIBANA』への入店方法は下記に。
※取材時にいただきました特典は、2018/1/31まで有効です。
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