連載1回:年越しそばの由来と歴史について【日本料理研究家/近茶流嗣家・柳原尚之】
今回から始まる日本古来の食文化にまつわる連載企画。第1回目は「年越しそば」の由来や歴史についてうかがった。
お話しいただくのは、NHK『きょうの料理』講師でおなじみ、NHK大河ドラマ『龍馬伝』や時代ドラマ『みをつくし料理帖』の料理監修や時代考証も多数手がける、「柳原料理教室」副主宰であり、江戸懐石近茶流嗣家(きんさりゅうしか)の柳原尚之さんです。
なぜ大晦日にそばを食べるのか?
日本料理は、年中行事との関わりが強くあります。その中で最もなじみの深いのが、「年越しそば」や「雑煮」「おせち」などの年末年始に味わう行事食でしょう。
大晦日から元旦にかけての時間、また、その間の行事を「年越し」、または「年取り」といい、大晦日の夜にそばを食べる風習は日本全国にあります。その時に食べるそばを「年越しそば」と呼びますが、実は大晦日に食べるそばを「年越しそば」と呼ぶようになったのは明治になってから。
江戸時代中期頃から、江戸市中では毎月の晦日(月末)や節分にそばを食べる風習がありました。節分とは、立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれの前日で、年に4回の節分があり、今は立春の前日だけが主だっています。節分に食べるそばを「節分そば」と言い、今も東京・調布市にある深大寺などでは節分にそばを食べるイベントが行なわれています。
一方、大晦日に食べるそばは「晦日(みそか)そば」「年取りそば」と呼ばれていました。昔は「数え年」でしたので、正月を迎えると一歳年をとるとされていたことから、「年取り」と呼ばれたわけです。他にも「年取り魚」といって、鰤や鮭などを食べる風習のところもあります。川柳では「晦日そば」と詠まれているものが多いようですね。
「長く伸びる=長寿」「そばを打つ=相手を討つ」「切る=悪いものを断ち切る」
では、なぜこの日にそばを食べるのでしょうか。諸説あるようですが、そばは長く伸びることから、長寿への願いが込められていますし、災厄をすぱっと断ち切る意味もあります。あとはそばは「打つ」ものなので、「手打ち」ということで相手を討つ、つまり勝つ、という意味もあるようです。
また、江戸でこれだけそば打ちが普及した理由の一つは、年末の忙しい時でも手早く作れること。そばはうどんと違い、練ったら寝かせる必要がなく、すぐ切ってゆでて食べられるということも、江戸っ子の気質に合ったんでしょう。
正月のおせちに代表されるように、日本人は、料理の一つひとつに願いを込めてきました。大晦日、新しい年を迎えるにあたって、悪いものを断ち切り、長寿を願い、幸せを呼ぶ願いを込めて食べるのがこの「年越しそば」なんですね。忙しい中で、家族全員が集まる特別な時間に味わう「年越しそば」。せっかくですから、家庭で食べる場合はひと手間かけて、自家製のそばつゆを作ってみてはいかがでしょうか。そばのおいしさがぐんとアップしますよ。
そばの発祥は奈良時代以前。醤油やみりんの普及が「そば切り」の発展につながった
そばが日本に伝来したのは、奈良時代以前と言われています。最初は粒のまま粥に仕立てたり、そば粉をお湯で練った「そばがき」や、餅のようについて丸めた「そば餅」にしたりして食されました。またそばは米より保存性が高く、痩せた土地でも作付ができるために、「救荒食」として生産され、飢饉の時には多くの人の命をつなぎました。
▲『合類日用料理抄』(1689年)
そばが現在のそばに近い、麺の形に切ってゆでる「そば切り」となったのは、江戸時代になってから。当初は小麦粉が入らず、そば粉だけで作っていたことから、とても切れやすかったのだと思います。そばにお湯を入れてねばりを出して練ったものを伸ばして切ったそうです。
▲『合類日用料理抄』(1689年)
日本で最初のレシピ本と言われる『料理物語』(寛永20年(1643))にはそば切りの製法が記されており、米を炊く時に出る、ねばりのある湯を使ったり、豆腐を入れてつなぎにしていたりと、創意工夫が見られます。また少し時代がさがった『合類日用料理抄』(元禄2年(1689))には、そばの打ち方、ゆで方も丁寧に記されています。元禄8年(1695)の『本朝食鑑』では、そばの効能のほか、東北で多く作られており、信州産が特に良品だと記載されています。
江戸中期~後期になると、小麦粉を混ぜた打ちやすく安価な「二八そば」が誕生し、さらに醤油とみりんが工業化され安価になったことで、急速に一般に普及しました。醤油やみりんを使う以前は、「煮貫(にぬき)」といって、味噌汁を煮詰めて漉して、鰹節を加えた汁でそばを食べていたそうです。私も作ってみましたが、これはこれで結構おいしいのですが、やはり醤油とみりんに砂糖を加えたそばつゆの方が奥深い味になります。改めてベースの「返し」ができたことで、大きく発展したのだと実感します。やはり、おいしいつゆの存在は大事ですね。
私の大好きな「そば屋さん」をこっそり教えます
江戸時代には年に4回の節分にそばを食べる「節分そば」という風習がありました。そばで有名な東京・調布市の深大寺では、2月の「節分そば」の風習が今も残っています。江戸後期に書かれた『江戸名所図会』では、深大寺の周りにはそば畑があり、栽培もされていたという記述があります。私の妻の実家が調布なので、ことあるごとに深大寺を訪れていますが、20軒以上のそば屋さんが軒を連ねていて、そば汁の香りに誘われ、つい、そばを食べてしまいます。
そばはいろいろなスタイルがありますが、私が子供の頃からよく訪れていて、特にお気に入りのそば店は2軒あるので、こっそり教えましょう。さらに自分で作るおいしいそばつゆの作り方も公開するので、ぜひ家庭で作っていただきたいですね。
お気に入りのお店は『室町 砂場 赤坂店』と『総本家 更科 堀井』
私が子供の時から祖父に連れられて、よく行っていたそば屋さんが『室町 砂場 赤坂店』です。こちらの店ではそば前(おつまみ)の焼き鳥や玉子焼きを食べて、そばは天ざるを頼んで、最後にそばぜんざいを食べる、そばのフルコースを楽しみます。ちなみに、東京の天ざるのスタイルは、そばと天ぷらを同じ汁で食べます。一方、長野などの地域ではそばつゆと天つゆが別々に出てくることが多いようです。
私のよく行くもう1軒は、200年以上の歴史がある麻布十番の『総本家 更科 堀井』。おつまみもそばももちろんおいしいですが、店主である堀井良教氏が打つ変わりそばがおいしいんですよ。今の季節なら柚子、夏ならトマトや紫蘇など、季節の香りを練り込んだ変わりそばが面白い。
家庭で作る、おいしいそばの作り方とコツを伝授
まず、そばつゆのベースになる「本返し」を作ります。みりん(大さじ2強)を鍋に入れて火にかけて、アルコール分を飛ばします。そこに醤油(180ml)、砂糖(大さじ2)を加えて、ひと煮立ちさせれば本返しの完成です。ビンなどに入れておけば長持ちしますし、寝かせたほうがよりおいしくなります。そば屋では、この本返しを変化させて、玉子焼きや焼き鳥のたれなど、ほかのそば以外の料理にも使っています。
だしは、鰹節の厚削りやさば節、宗田鰹節などを使います。本来の江戸前は昆布を使いませんが、家庭では昆布も使った方が良いだしがひけるでしょう。まず、削り節を長めに煮立てて、濃いだしを取り、漉します。このだし3に対して本返し1を加えれば「ざるそば」のつゆ、だしが8に対して本返し1だと「かけそば」のつゆになります。
そばは、乾麺の上等のものを用意します。乾麺の質のよいものは、袋に表示されているゆで時間が短い。小麦粉が多く入ると、ゆで時間が長くなるからです。ゆで時間が3分くらいのものを選ぶとよいでしょう。そばはたっぷりのお湯で、そばが上下踊るようにゆがいて下さい。寸胴鍋とか、家庭ならパスタパンがおすすめです。たっぷりのお湯でゆがいて、たっぷりの流水の中でもんでぬめりを取って、ざるにあけます。冷水でしめることで歯ごたえが良くなります。かけそばの場合も、一度洗ってから、再度温めます。
また大晦日、私が自宅でよく作るのは「そば蒸し」です。真鯛や甘鯛、金目鯛など、蒸しておいしい白身の魚を用意します。おせち料理に入るサワラでもいいですね。ゆでて洗ったそばを器に盛って、その上に塩をして、一度蒸した白身魚をのせ、本返し1に対してだし5くらいのつゆを張って、蒸し器で蒸します。そばは、私は茶そばを使います。見た目がきれいで、おいしいですよ。年に一度の節目、たまには自家製のおいしいつゆでいただく「晦日そば」を楽しんでみてはいかがでしょうか。
参考文献
『料理物語』
『合類日用料理抄』
『本朝食鑑』
『江戸名所図会』
『年中行事の民俗学』(谷口貢・板橋春夫 編著) 八千代出版
『ニッポンの縁起食-なぜ「赤飯」を炊くのか』(柳原一成・柳原紀子 著) NHK出版
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編集協力:糸田麻里子(フードライター/エディター)