幸食のすゝめ#061、寄り添う氷には幸いが住む、南麻布
「元気になったよ。バランタイン17年、また飲み始めたよ。そろそろ、一緒に遊ぼ♪」
少々眠い目をこすりながら、開店準備をしていたエノチンこと榎本秀幸さんに、昼下がり、1本の電話が入る。
ちょうど半年位前まで、ほぼ毎晩通ってくれていた80代の女性だ。グラスに寄り添う大きさに割られた氷と、17年もののバランタイン。エノチンが注ぐ酒を愛して、3年弱で175本のボトルを空けた。
もちろん、その半分はエノチンに、何杯かは僕もご馳走になったことがある。体調を崩されての療養からの帰還、彼女の復活はそう遠くないはずだ。
彼女のほかにも何人か、80代の常連さんがいる。でも、ようやくお酒を飲める歳になった女性たちも多い。
年齢も、世代も、職業も、恋人たちも、独りものも、ナースも、大学生も、俳優も、ここでは一切のボーダーがない。
あるのは、静かな時間とうまい酒だけ、それがバーだ。
エノチンは、現在は魚沼市と合併した新潟の守門村(すもんむら)から上京し、大手パンメーカーの工場で働いた。その後、お茶の水のスキー用品の会社を経て、ある夜、笹塚のバーで生涯の職、バーマンに出会う。
カウンターの向こうから差し出される酒を口に含む度に、「酒っておいしいんだ、酔うための道具だと思っていたのに、本当は味わうものなんだ」、心の底からそう思った。そして初めて、自分が進むべき道が見つかった。
それからは、目標に向けてまっすぐ歩き始め、青山の『カイ』のカウンターに入る。そこには、(故)宮川賢左衛門と河内一作という、当時の飲食業界のレジェンドがいた。ケンちゃんの素晴らしいホスピタリティと一作さんが作る秀逸な酒、当時は珍しかったアジアや沖縄の料理、良質なライブ。エノチンの新しい日々が始まった。
西麻布という素っ気ない名前に変わった霞町の交差点から、外苑西通りを広尾に向かって進むと、日赤病院下の交差点から左折する鉄砲坂という標識が見つかる。
少し坂を昇り、北条坂の標識を過ぎた辺りは大使館や外国人たちの邸宅が並ぶ閑静な住宅地だ。
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