#014 聖俗交わるベンチャータウン、五反田
武蔵野台地の東南の果て、五反田。低地を貫き東京湾に注ぐ目黒川の水運に恵まれ、同時に大量の排水を処理できた川沿いの街は、いつか一大工場地帯に成長していく。
膨大な工場労働者をはらんだ街は、限りない欲望を満たすために歓楽の里になり、お手軽な角打ちや銘酒屋から、多くの芸妓衆を従えた花柳界の料亭旅館まで、数限りない店が乱立した。
その後、東京大空襲では一面の焼け野原に変貌。しかし、庶民たちの欲望の街は瞬く間に復興。焼け跡に闇市が立ち並び、新開地が生まれ、箱バン(店に常駐するバンド)が生演奏し、100人以上の女性たちが働くキャバレーの聖地となっていく。
一方、台地の丘陵の上には池田山、島津山と呼ばれるセレブな住宅地が続く。
岡山藩池田家の下屋敷だった池田山には、皇后陛下の生家で、現在は「ねむの木の庭」という公園になっている旧正田邸があり、昭和33年の婚約発表時には全国の視線が五反田に集中した。
島津公爵の敷地である島津山は、一帯をそのまま清泉女子大が買い取り、鹿鳴館やニコライ堂を設計したジョサイア・コンドルのルネッサンス美学がそのまま残されている。
五反田はまた、「ソニー村」への玄関口でもあった。駅東口から御殿山に続く通りは、本社が創業地から川崎に越した後も、ソニー通りと呼ばれて住民たちに親しまれている。
近年、かつてのソニー村の勢いを再燃させるように、多くの若い起業家たちが高家賃の渋谷・六本木を捨て、五反田に集りつつあり、聖俗が混在する街は新しい局面を迎えつつある。
山手線のホーム下を国道1号線が通り、見上げると池上線のホーム、さらに浅草線も接続する城南地区の交通の要衝、五反田。路地裏まで店が続く下町風情の中、様々な店が点在する。
ガード下には、朝から夜まで行列が絶えない讃岐うどんの『おにやんま』。惜しまれつつ有楽町駅ガード下を去った、焼そばで有名な『後楽そば』は、そっくりそのまま五反田駅ガード下に越して来た。
起業家たちが翼を休め、明日の活力を養う新しきスポットも生まれつつある五反田。
今回はそんな街の実力に触れる魅惑の3店をご案内しよう。老舗もあれば、最新もある。しかし、その根底に流れる、いつも庶民たちを支えて来た温かさと優しさは変わらない。
どこよりも安い酒と、日本でいちばんうまいカップ焼そばに出逢う店。
創作料理のすべてがうまい、新世代の食堂から生まれた立ち飲み。
クラフトジンとワイン、女性シェフの料理に酔う端正なバー。
さて、そろそろ城南のホームタウン、五反田の街に飛び出そう。
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