幸食のすゝめ#063、注がれた琥珀には幸いが住む、神田神保町
「はい、菊さん、本日は2千と3百円になります」
起立し、指を立てて数字を表しながら、良く通る声が店内に響き渡る。店主の(柴山)真人さんが、賄いの焼そばを食べ終わると、そろそろ『兵六』は閉店の合図だ。カウンターの端からお会計が始まり、常連客たちが1人、また1人と店を後にして行く。
その時、友と視線を合わせて、まるで暗号のように囁かれる台詞がある。
「次、行く?セカンド?」
指差された先は神保町交差点方向だ。
2軒目に行くからセカンドではない、それは次に行く店の屋号の一部だ。
閉店が早く酒の量も定められている『兵六』の客たちは、ほとんど近隣をはしごして帰る。立ち呑みのセカンドや、同じく立ち呑みで俳句酒場の『銀漢亭』は、その定番。最近は『ユーロスターカフェ』や、ナチュラルワインの『関山米穀店』に流れる人たちも増えてきた。
大の大人たちが『ラドリオ』から『さぼうる』に続く小径を連れ立って歩く。その頃、心の中にはもう、1杯目のビールの銘柄とサイズが決まっている。
「とりあえず、バスのSとブタリメください」、芋焼酎のお湯割りで熱くなったら、今度は冷たいビールが恋しくなる。
ベルギー産白ビールの代表格であるヒューガルデンを頼む人も多く、最近はキンミヤ焼酎を使ったレモンサワーの人気も高い。
タイタニック号の処女航海に500ケース積み込まれたというバスを立ち呑みしていると、イギリスの街角のパブに居るような気分になる。
沖縄・那覇の第一牧志公設市場で飛ぶように売れている、アタリメの豚バージョンブタリメと、上面発酵のエールビールの相性は海を越えたベストカップルだ。
家業を継ぐ前、仕事で年の半分近くをイタリアで過ごしていた店主の橋本一明さん。週末になると必ず、街のバルに通うのが楽しみだった。
ミラノ、フィレンツェ、ボローニャ、それぞれの街で地域の人に愛されているバルがあった。その一つひとつが魅力に溢れて、キラキラと輝いて見えた。
安く酒を楽しんで、サッと済ませる。そんな日本の立ち呑み流儀とは違う、1つのバル文化のようなものが、そこには共通して息づいていたからだ。
「日本にも、あったらいいなぁ」、そんな橋本さん本人の希望から生まれたバルが、本の街神保町で受け入れられるのに時間はかからなかった。
イギリスも、ベルギーも、日本も生が肝心
イタリアやスペインの生ハムやサラミを取り揃えたメニュー、バスも、ヒューガルデンも、氷点下ビールもすべてドラフト。グラスワインや、様々なオリジナルドリンクも黒板にびっしり並んでいる。
軽いつまみから、リーズナブルな肉盛り、〆のコンビーフご飯まで、つまみはどれもうまく、どんどん酒が進む。
バルでありながら、和の要素を随所に取り入れ、鉄の装飾を施した鍛金師によるデザインも、適度なレトロ感と無骨さが共存していて居心地がいい。
この記事にはまだ続きがあります
今すぐ続きを読む
プレミアム記事をすべて読むには、ぐるなびプレミアム会員登録が必要です