連載2回:【日本酒の基礎知識】そもそも日本酒はいつから飲まれているのか
近年、再び脚光を浴びている日本酒。気軽に日本酒が飲めるバーや、日本酒を楽しむ野外イベントなども増えてきた。とはいえ、“日本酒は敷居が高そう…”“飲んでみたいけど難しそうでよくわからない…”と思っている人も多いのではないだろうか。
そこで本連載では、日本酒を詳しく知らない初心者の方に向けて、知っておきたい基礎知識から、日本酒を気軽に楽しめる飲食店やイベント、さらには注目の銘柄などを紹介していく。
第2回目は、「日本酒っていつから飲まれているの?」という疑問に答えるべく、日本酒の歴史(起源~近代史)を説明しよう。
第1回目『「純米酒」「吟醸酒」「本醸造酒」の違いについて』はこちら
日本におけるお酒の歴史
日本酒の歴史を紹介する前に、そもそも日本ではいつからお酒が飲まれているのだろうか?
実は縄文時代から、日本ではお酒が飲まれていたと言われている。というのも、長野県八ヶ岳の山麓にある遺跡から、ヤマブドウの種が入った縄文式土器が発見されたのだ。このことから、日本では縄文時代から果実酒が飲まれていたのではないかと推測されている。
つまり日本で最初に飲まれたお酒は、意外にも日本酒ではないかもしれないというわけだ。
日本のお酒に関する最古の記述は、諸説ある。1つは、1世紀頃に書かれた中国の思想書『論衡(ろんこう)』だ。もう1つは3世紀末の中国の史書『魏志倭人伝』である。とはいえ、原料などの記載はなく、どんなお酒だったのか詳細は不明だ。
日本の書物にお酒が登場したのは、奈良時代に書かれた日本最古の歴史書『古事記』(712年)である。日本神話の神である須佐之男命(すさのおのみこと)が、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治するために「八塩折之酒(やしおりのさけ)」を造ったと記載されている。
この八塩折之酒とは、仕込み水の代わりに酒を原料に使って、何度もくり返し醸造したアルコール度数の高いお酒のことだという。つまり酒で蛇を退治したようだ。
しかし、ここでも原料は不明である。
このように、日本には古代からお酒があったことはわかるものの、日本酒の起源は明確にされていない。とはいえ、稲作が始まった弥生時代から、すでにお米を原料としたお酒が飲まれていたのではないかと推測されている。
お米を原料に酒を造っていたことがわかる記述は、『大隅国風土記』(713年以降)にある。現在の鹿児島県東部に位置する大隅国では、口の中でご飯(穀物)を噛んで、唾液の中にある分解酵素のアミラーゼで米のデンプンを糖化させ、それを壺に吐き出し、溜めて発酵させる方法でお酒を造っていた。
これを「口噛み酒」と言う。酒を造ることを「醸(かも)す」と言うが、これは口噛み酒の「噛む」という行為が語源ではないかとする説もある。
また『大隅国風土記』と同時期に編纂(へんさん)された『播磨風土記』には、神様に供えた米が濡れて、麹カビが生えて甘くなったので、それを使って酒を造ったと記載されている。
お酒が貴族から庶民が楽しむものになるまで
奈良時代には「造酒司(みきのつかさ/さけのつかさ)」と呼ばれるお酒造り専門の役所が朝廷の宮内省に設けられ、貴族たちが嗜むためや豊作祈願の神事のために日本酒を造っていたという。
平安時代になると、お酒造りは僧侶の間に広まっていった。僧侶が大寺院で造るお酒を「僧坊酒(そうぼうしゅ)」と呼ぶ。
代表的なものが、現在の大阪府河内長野市の「天野酒」と、奈良県奈良市の「菩提泉(ぼだいせん)」である。この「菩提泉」を清酒の起源とする説もあり、奈良県の正暦寺(しょうりゃくじ)には、日本酒発祥の地とする碑が建てられている。
また平安時代中期の文献であり、法律などについて書かれた『延喜式(えんぎしき)』(927年)には、米・麹・水で酒を仕込む製法など、朝廷における日本酒の造り方が詳細に記載されている。
鎌倉時代になると民間の間でも日本酒造りは広まり、京都を中心に酒蔵が誕生していった。
本来、お酒は冠婚葬祭や豊作祈願など、お祝い事や神事に飲むものだったが、この頃から日常的にも飲まれるようになっていったという。それにより日本酒で体調を崩す武士が現れたり、酔った勢いで争いごとを起こしたりするなど、事件が多発。これを受け鎌倉幕府は、1252年に「沽酒禁令」を制定。酒蔵を制限し、酒壺(かめ)は各家に1個と定めたのだ。
室町時代になると、ようやく庶民の間でも日本酒が飲まれるようになった。この時代に編纂された『御酒之日記』や『多聞院日記』によると、木炭を使って「ろ過」をしたり、火入れや段仕込み法をしたりするなど、現在の日本酒の製法が完成しつつあった。
また仕込み用の桶が開発されたことで、日本酒の大量生産が可能になったという。
江戸時代になると、商人によって日本酒が商品化されるようになった。また日本酒の一大消費地は江戸になる。そのため、海運など輸送しやすく、かつ寒い時期に行う「寒造(かんづく)り」の製法が確立された伊丹(現・兵庫県伊丹市)が日本酒造りの中心になった。
しかし、その後まもなく灘(現・兵庫県神戸市、西宮市あたり)で、仕込み水として最適である鉄分が少ない「宮水」が発見された。これにより灘が日本酒造りの中心地になる。
造った日本酒は、船で江戸へ運ばれたため「下り酒」と呼ばれた。一方、江戸に運ばれない出来の悪い日本酒のことを「くだらない」と表現するように。
そう、価値がないものなどに使う「くだらない」という言葉の語源である。
酒税が財政源になり、国が力を入れ出した
明治時代には、酒税が大きな財政源になった。そのため、1899年には酒類の自家醸造が禁止になる。一方で、1904年に国立醸造試験所が開設。乳酸を添加して醸造する「速醸酛」などの手法を開発したり、品質向上を目的とした全国新酒鑑評会を開催したり、国が日本酒造りに力を入れ出すのだ。
また、今までは桶やかめで量り売りをしていた日本酒だが、水増しなどの不正を防ぎ、かつ衛生面にもいいことから「一升瓶」で販売するように。現在、日本酒といえば、一升瓶で販売されることが多いが、これは明治時代に始まった習慣なのだ。
【まとめ】
・日本で最初に飲まれたお酒は、日本酒ではなく果実酒かもしれない
・日本のお酒に関する最古の記述は、中国の思想書『論衡』または史書『魏志倭人伝』に見られる
・日本の書物にお酒が登場するのは、日本最古の歴史書『古事記』である
・『大隅国風土記』『播磨風土記』に、お米を原料としたお酒の記述がある
・奈良時代には「造酒司」と呼ばれるお酒造り専門の役所があった
・平安時代には、お酒造りは僧侶の間に広まり「僧坊酒」が生まれた
・鎌倉時代には「沽酒禁令」が制定され、お酒の販売や飲む量が制限された
・室町時代には、現在の日本酒の製法が完成しつつあった
・江戸時代には、日本酒が商品として流通するようになった
・明治時代には、酒税が国の大きな財政源になった
以上、簡単ではあるが、日本におけるお酒の始まりから明治時代までの歴史を紹介した。このように日本では、古くからお酒を楽しむ文化・習慣があったのだ。次回は、昭和から現在までの日本酒の歴史を紹介したい。
<参考文献>
・『新訂 日本酒の基』日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会(SSI)著/NPO法人FBO
・『酒仙人直伝 よくわかる日本酒』NPO法人FBO 著
・『ゼロから分かる!図解日本酒入門』山本洋子著/世界文化社
・『もっと好きになる 日本酒選びの教科書』 竹口敏樹監修/ナツメ社
<編集協力>
名久井梨香
写真提供:PIXTA