幸食のすゝめ#067、香り立つ辣には幸いが住む、三軒茶屋
「中学の頃、自転車に乗って友だちと3人で、ロシアとの国境まで行ったんだ。地図で見るとちっぽけな距離なんだけど、行ってみると遠かったなぁ」。梁(リャン)さんの話には、黒竜江省を横切る大いなる風の音がした。
梁さんの故郷は、国境に程近い街、斉斉哈爾(チチハル)。黒竜江を挟んでロシアと接し、西はモンゴル自治区だ。様々な民族が生活する地区には、独自の食文化が培われた。山東、四川、広東の各料理の要素を取り込みながら、同時に満州、朝鮮、モンゴルの食を融合。
クミンと胡麻、一味唐辛子を効かせた羊の串を、何本も、何本もお代わりしながら、どこよりもリーズナブルなナチュラルワインをガブ飲みする。たちまち夜の神田、JRのガード下で身体中に大陸の気がみなぎった。
その後、湯島『味坊鉄鍋荘』、御徒町『羊香味坊』、『老酒舗』と中国東北料理の魅力を伝え続けてきた梁さんが三軒茶屋にやって来ると言う。しかも、今回の店舗は発酵・燻製・ハーブが織り成す、香り高き湖南料理らしい。
店の名前は『香辣里(シャンラーリー)』、居ても立ってもいられず、オープン間近の梁さんに会いに行った。
三軒茶屋の茶沢通り、西友近くにオープンした飲食店ばかりのホームタウン・ダイニングビル、GEMS(ジェムズ)三軒茶屋の7階に梁さんの新しい基地があった。
1店舗1フロアずつのぜいたくな造り、エレベーターのドアが開くと、そこはもう東京の湖南省だ。
いきなり、梁さんの笑顔とハグに迎えられる。
挨拶代わりに運ばれてきたのは、「醤油漬け干豆腐と香り野菜の和え物」。味付けされた干豆腐と香菜やミントなど、清涼感溢れるハーブや野菜がさくっと和えられている。辛くない、そう思ったのも束の間、もう1つ運ばれてきた前菜、「キクラゲの発酵唐辛子和え」は見た目とは違ってガツンと辛い。
唐辛子を叩き、塩漬けにして発酵させた発酵唐辛子トウジャオは、湖南料理の代表的な調味料、ここではもちろん自家製だ。額に滲む汗を見ながら、梁さんが「これから、どんどん辛くなるよ」と笑う。
辛い、しかし、これまで経験したことのない辛さだ、スカッとしていて爽やかなキレがある。
沖縄には風、日本には雨を表す言葉がたくさんあるように、中国には辛さを表す言葉が7つもあると言う。
すっかり日本ではポピュラーになった四川料理の痺れるような辛さは麻辣(マーラー)、唐辛子に、花山椒を加えて作られる。
それに対して、湖南料理特有のスカッとした辛さは香辣(シャンラー)と呼ばれている。発酵唐辛子トウジャオや、小米辣(ショウミーラー)というタイ料理を思わせる小型の唐辛子を、香菜やミント、紫蘇などの香草類と合わせて使うことで、フルーティで爽やかな辛さを作り出す。
発酵食品と共に、腊肉(ラーロウ)などの燻製食品を調味料兼食材として多用するのも湖南料理の特徴だと言う。
腊肉とは、生の豚肉に塩や酒、スパイスを塗って漬け込み、その後、風乾し燻製させたもの。常温でも保存可能なので、湖南省では冬に作り貯めた腊肉を一年中料理に使う。
肉のうまみと香りが凝縮された腊肉は、食材である前に湖南料理の大切な調味料なのだ。もちろん、梁さんの店では腊肉も自家製で作っている。
シンプルにネギや干豆腐を炒めただけのひと皿も、辛みの向うに超絶なうまみが覗いているのは腊肉の成せる技だろう。
梁さんの湖南料理指南を聞いているうちに、「トウジャオユウトゥ(鯛の頭の発酵唐辛子蒸し)」と呼ばれる湖南省の名物料理が運ばれてくる。
魚のお頭の上に、各種の唐辛子、緑の香菜、青菜の漬物、黒い豆豉、白いネギ、赤いピーマン、みじん切りにしたショウガ、ニンニクなどをのせ、塩と酒だけを加えて蒸す。魚に火が通るか、通らないかのギリギリの接点で蒸し上げる湖南の華だ。
海がない湖南では川魚を使うが、海の幸に恵まれた日本では鯛などを使い、さらにグレードアップした味と豪華さに目を奪われる。
複雑に交差する滋味を纏ったふわふわの魚を夢中で食べ終わったら、お楽しみはまだこれからだ。
茹でた太めのビーフンを残ったスープに投入すれば、極上の魚介パスタが出来上がる。味変で紫蘇を散らしたら、バジル風味も加わり箸が止まらなくなる。しかし、ここで1つアドバイス。このスープ、最後に運ばれてくるご飯とも抜群の相性なので、決して食べ尽くしてしまわないこと。
香辣にぴったりな個性溢れるドリンクも豊富に
プレゼンテーションが美しい「ぶつ切り鴨の田舎炒め」は、ついつい酒が進んでしまう一品。
『味坊』同様、冷蔵庫にはリーズナブルなナチュラルワインが並んでいるが、ここに来たらオリジナルドリンクも見逃せない。
「イェンホーハイボール」は、紅茶葉やフルーツをバーボンに漬け込んだ瓶と氷を満たしたグラス、ソーダのセットで供される。これでたっぷり、ハイボール2杯分だ。
クミンや唐辛子、胡麻やエゴマのスパイスが効いたクラマトトマトジュースの酎ハイ、「羊香トマトハイ」も癖になるおいしさ。クラマトのクラムはハマグリ、通常はカクテルのブラッディーマリーなどに使われる高級トマトジュースだ。
都会の中で自然の恵みと癒しに出会う至福
梁さんの新しい城の名前、『香辣里』には湖南料理を代表する味わい「香辣」に、郷土や田舎を表す「里」が重ねられている。
里の文字には、「農家楽(ノンジャーラー)」という楽しみを東京に根付かせたいという梁さんの願いも込められている。農家楽とは、都会人が田舎に出向いて休日に農家などに逗留、新鮮な食材と自然の中で身も心も癒される習慣だ。
『香辣里』は、東京という荒野の中で自然に出会い、香り立つスパイスの洗礼の中、大切な何かを取り戻す空間なのかもしれない。
香り立つ辣には、幸いが住んでいる。
【メニュー】
醤油漬け干豆腐と香り野菜の和え物 680円
キクラゲの発酵唐辛子和え 600円
鯛の頭の発酵唐辛子蒸し 1,500円
ぶつ切り鴨の田舎炒め 1,200円
各種ハイボール(2杯分) 980円/1,080円/1,160円
ボトルワイン 2,500円/3,500円/5,000~10,000円
※本記事に掲載された情報は、掲載日時点のものです。また、価格はすべて税抜です。
湖南菜 香辣里
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