幸食のすゝめ#081、まくらの真ん中には幸いが住む、恵比寿。
「なんだかさぁ、暑い暑いって言ってたのに急に寒くなっちゃってさ。家の中でみんなゴホゴホしやがって、うつんなくてよかったよ、まったく。ま、おいら馬鹿だから、風邪は元々ひかないんだけどね」。
「何言ってんの! 馬鹿じゃなくて、馬鹿正直だろ。ウチの死んだ親父がいつも言ってたよ、風邪なんかひく奴は根性曲がってんだ、って」。
客の話にこたえながら焼き台に立つマスター、長島太一さんの周りで、常連さんたちの話が明るく弾んでいる。
目の前に置かれている赤ワインはボトルと言っても一升瓶だ。
「この前のテレビ撮影の時もさ、いい感じでオーダー入ったでしょ」、カウンターの女性が話に入る。
「あの辺りで女性グループが一升瓶頼むと、絵的にいいかなと思った訳よ」、「その際は、ほんと気使って貰って、どうもね」、ママの正子さんが笑顔でこたえると、すかさずマスターが「おいら、そんなこと頼んでないから!」。
ここにはいつも、昭和の東京、人がいつも朗らかに暮らしていた時代の風景がある。
戦後まもなく昭和21年に創業した『とよかつ』は、当初の8年間は定食屋としてスタート。その後、当時まったくの素人だった初代の勝子さんが手探りの中、独学で研究したやきとりで評判になる。
店名の『とよかつ』は、初代夫婦の名前、「豊作」と「勝子」から頭文字を取って名付けられている。
2人で始めたとは言うものの、店のことにはあまり構わず社会事業に打ち込んでいたご主人に代わって、勝子さんが細腕ひとつで店を支え続ける。
その内、「お母さんが焼いたやきとりじゃなきゃ!」と通い始める常連たちが増え始め、亡くなる数年前まで半世紀の間、炭火の前に立ち続けた。
やきとりと言っても、吉祥寺の『いせや』、立会川の『鳥勝』などと同じく、東京流のやきとん。毎日、芝浦の食肉卸売市場から仕入れる朝つぶしの新鮮な内臓肉を、朝9時から仕込みして串打ちする。
なんこつ、こぶくろ、あぶら、かしら、たん、はつ、レバーの7種類の豚モツと、名物のまくら。
やきとりは、すべて最初のワンオーダー制で追加注文は一切なし。寒い冬や、暑い夏に外で列を作っているお客さんたちへの配慮だ。ホワイトボードに書かれた、その日のサイドメニューのみが途中で追加できる。
昭和の世からモツとワインのペアリング
名物のまくらは、豚挽き肉を1本ずつ丁寧にニラで巻き上げたオリジナルの串。ちょうどひと口で頬張れる大きさの中には、限りない滋味と先代勝子さんの優しさがぎっしり詰まっている。
『とよかつ』のもう1つの名物は、葡萄酒と呼ばれていた時代から常備されている国産ワイン。たまたま勝子さんが山梨出身だったことから、モツにワインという、当時では画期的なペアリングが実現した。
洋食屋さんで修業したこともある二代目のマスター、太一さんが作るスパゲティーサラダや、冬のおでん、先代から続くお新香(ぬか漬け)など、サイドメニューも人気が高い。
変わり行く街の決して変わらない優しさ
都市開発と言う名のメスで、立石や武蔵小山など多くの街で、昔ながらの商店街が消え行く中、最も初期に近代化が進んだ街恵比寿に残る貴重な昭和遺産『とよかつ』。
夕暮れが街を染め上げる頃、変わり行く都市の片隅に残る、決して変わらない大切なものを求めて、たくさんの人たちが集まって来る。
焼きたてのまくらを少しだけ冷まして、一気に口に頬張り、肩を落として大きな息を吐いた後、満面の笑顔に変わっていく働く女性たち。歴史談義に花が咲く、サラリーマンの面々。平日休みに駆け付けた近隣の同業者や美容師の卵…。
まくらの真ん中には、幸いが住んでいる。
【メニュー】
まくら 150円
やきとり(なんこつ/こぶくろ/あぶら/かしら/たん/はつ/れば) 130円
お新香 250円
大根の皮のきんぴら/スパゲティーサラダ/おでん/ぴり辛こんにゃく/冷奴/夏みかんのピール 320円
グラスワイン 400円
ボトルワイン 1,900円
ビール 580円
日本酒 400円
※本記事に掲載された情報は、掲載日時点のものです。また、価格はすべて税込です。
まくら とよかつ
- 電話番号
- 03-3461-8539
- 営業時間
- 17:00~21:30(L.O.)
- 定休日
- 日曜・祝日
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。