フレンチを極めたシェフが生み出した、ラーメンの新たな世界
武蔵小山『麺や一途(いちず)』、神保町『海老丸らーめん』、本八幡『菜(さい)』など、フレンチ出身のシェフが開いたラーメン店は意外に多い。
だが、2018年12月8日東銀座に誕生した『銀座 八五(はちごう)』は、これまでの“元シェフによるラーメン店”とは大きく違う。ラーメンの命ともいうべき「タレ」を使わない、全く新しいラーメンを提供しているのだ。
『ミシュランガイド東京 2020』にて、見事ビブグルマンとして初めて掲載されたことからも、注目度の高さが伺える。
『銀座 八五』があるのは「歌舞伎座」のほど近く、かつて「木挽町(こびきちょう)」と呼ばれた一角。外観から漂うのは、ラーメン店ではなく割烹のような雰囲気だ。
メニュー表には「季節のそば」「特製 肉ごはん」も載っているが、こちらはまだ開発中。現在提供しているラーメンは3種。
基本の「中華そば」、そこに味玉を付けた「味玉中華そば」、チャーシューを大盛にした「特製中華そば」、そして単品のご飯となる。
店内はわずか6席。白いカバーがかかった椅子・静かなクラッシックのBGM・間接照明と、ラーメン店らしからぬ高級感あふれる空間が広がる。
さらにカウンターには、渋い色合いのランチョンマットに、カトラリーレストのような箸置き。運ばれてきた水は、うすはりグラスに入っている。厨房から聞こえる静かな会話からは、スタッフの研ぎ澄まされた真剣さが伝わってくる。
「本当にここがラーメン店なのだろうか」と思わずにはいられない。
ラーメンは、丼の中の完成された「フルコース」
店主の松村靖さんは、「京都全日空ホテル(現ANAクラウンプラザホテル京都)」で、長年にわたり総料理長を務め、京都府の「現代の名工(卓越した技能者表彰)」にも選ばれるなどフレンチを究めた名シェフ。
定年退職後、小さなフレンチの店を出したが、個人店でホテル時代のレベルの食材を調達するのは難しく、完璧主義の松村さんは思い悩んだ。だがある時に、ふと「ラーメンは丼の中のフルコースではないか」と気がついたという。
「丼ひとつで、一食として完成している。そこが面白いと思ったのです。フレンチのような高級料理はハレの日をさらに輝かせる良さがありますが、私はもっと気軽に、誰にでも召し上がっていただける料理を作ってみたいと思いました」(松村さん)
そこで一念発起してラーメンの研究を開始。上京し、2015年水道橋に『中華そば 勝本(かつもと)』をオープンすると瞬く間に人気店となり、翌2016年には2軒目のつけそば『神田 勝本』をオープン。
どちらも、松村さんの想い描く理想のラーメンを提供する店ではあったが、松村さんの中には依然として、フレンチの料理人としての情熱も息づいていた。
「若い頃に初めて、牛すね肉でとったスープを味わった時の感動は今も忘れられません。あの味を多くの人に知って欲しい。そのために、最高級のコンソメのようなスープでラーメンを作ってみたいと思ったのです」(松村さん)。
これぞ新機軸、目指したのはタレに頼らないラーメン
ラーメンは、タレ(かえし)で味を決めるのが常道。だが松村さんは「本当においしいスープであれば、タレがなくても味を決めることができるのではないか」と考えた。
だが、スープだけでラーメンとしての味を成立させるのは、フレンチとラーメン両方を知る松村さんにとっても、至難の業だった。
「スープとしては文句なくおいしくても、麺を入れると頼りない味になってしまうことが多かったのです」(松村さん)。そのスープの完成には半年以上かかったという。
そんな松村さんの想いと情熱がこもった「味玉中華そば」(写真上)がこちら。運ばれてきた瞬間に、山椒をはじめさまざまなスパイスをミックスしたような、不思議な香りが広がる。
香りの正体は、仕上げにふりかけている、マダガスカル原産のペッパーキャビア。フレンチの一流シェフが愛用していることで有名だが、松村さんはその香りを十二分に感じられるよう、ミルの細かさにも徹底的にこだわっている。
3回驚く、常識を超えたラーメンスープ
スープのひと口目は、ラーメンスープらしからぬ上品ですっきりした味わいに驚く。だが、ふた口目から、今までのラーメンスープで味わったことのない“洋”を感じさせる複雑で繊細な味わいが、次々に立ち上がってくる。
そしてさらに驚くのが、麺といっしょにすすった時。それまでの“洋”の味わいががらりと印象を変え、まぎれもないラーメンスープとして、すっと屹立(きつりつ)する。なんというドラマティックな驚きに満ちたスープだろうか。
松村さんによると、このスープのベースとして鴨や名古屋コーチンなどさまざまな鶏を試し、今も模索中だという。
魚介系のうまみにはイタヤ貝(ホタテ貝に似た二枚貝)、植物系のうまみにはドライトマト、昆布、干しシイタケ、ローストしたキノコを使用。それらをフランス・ゲランド地域の海塩でまとめ、透明なスープに仕上がるまで約2日間煮込んでいる。
ラーメンスープとしての味の決め手に悩んでいた時、松村さんは、仕上げに中国料理の上湯(しゃんたん:最高級のスープ)に倣って金華ハム(きんかハム:中国で食べられる世界三大ハムの一つ)を入れることを思いつく。だが、たまたま代わりに生ハムを入れたところ、ぴたりと味が決まったという。
複雑で重厚感・存在感のあるしっかりした塩味は、熟成した生ハムから醸されたものだったのだ。
▲イタリア産の高級プロシュートを贅沢にたっぷり使う。煮込んだ後は味が出切って、だしがら状態になるという。
麺にもチャーシューにも”常識外”のこだわり
麺についても、もちろん一般的なものと違う。スープとともにすすりこむとラーメンの麺として認識するが、麺だけをかみしめると、パスタのような香りと歯ごたえがあるのだ。
この麺、パスタに使われるデュラム小麦のセモリナ粉よりも粒子の細かい「ファリーナ」を中華麺に練り込んでいるという。これにより、スープの邪魔をせず、むしろ違和感なくスープに寄り添うことができるのだ。
『勝本』オープン時からオリジナルの麺作りを依頼している老舗製麺所『浅草開化楼』の製麺師・不死鳥カラス氏と、試行錯誤を繰り返して完成させたものだという。
チャーシューは、下ごしらえをした豚バラ肉を調味液とともに専用パックに入れて真空包装し、一定の温度を保ち4時間かけて低温調理。これはフレンチの肉料理などによく用いられている技法。
あふれるほどの肉汁を中に蓄え、一般的なチャーシューと一線を画すなめらかさ・やわらかさを誇り、まるで一品の肉料理のようだ。
▲チャーシューのスライスひとつにも、フレンチで培った緻密で端正なスタイルがのぞく
ちなみにメンマは乾燥タケノコを仕入れ、店で時間をかけて戻して使用している。
▲温玉はスープ以上に主張をしないよう、薄口醤油とこぶだしで軽く味をしみこませて仕上げている
供するものには、徹底的なこだわりを
これだけ知恵を尽くし手をかけ、素材を惜しまず使ったラーメンが気軽に味わえるのは、もはや奇跡ではないだろうか。だがこの店の“奇跡”はまだまだ終わらない。
水の代わりにお茶を希望すると、水出しのほうじ茶が無料でいただけるのだ。ほうじ茶というと庶民的なイメージがあるが、このお茶は軽やかさと芳醇な香り・うまみがあり、「これがほうじ茶!?」と驚くはず。まさにほうじ茶観が覆される味なのだ。
一杯150円で出しているご飯は、合鴨農法(アイガモを水田で放飼いにする一種の有機農法)により完全無農薬で生産された魚沼産コシヒカリ「合鴨米」を、魚沼の水で炊いている。しかし、そのようなこだわりを示す貼り紙は、店内にひとつも見当たらない。
松村さんをはじめ、店はすべて経験豊富なプロフェッショナルのスタッフだけで営業している。
「ラーメンもサービスも空間も、すべて『上質』であることを目指しています」(『銀座 八五』)
真に”上質な体験”を求めて、今日も店の前には長い行列ができている。
【メニュー】
中華そば 850円
味玉中華そば 950円
特製中華そば 1,050円
ご飯 150円
※本記事に掲載された情報は、掲載日時点のものです。また、価格はすべて税込みです。
銀座 八五(はちごう)
- 電話番号
- 03-6228-4141
- 営業時間
- 11:00~15:00、17:00~21:00
- 定休日
- 水曜、第2・第4木曜
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。