「うまい天ぷらのシメに、うまい蕎麦が食べられる店があったら最高」
東京・神楽坂の『蕎楽亭(きょうらくてい)』といえば、『ミシュランガイド東京 2010~2019』と10年連続で掲載されている蕎麦の名店。
本格石挽き手打ちそばの味わいとともに、肴や揚げたての天ぷらメニューが豊富で、気取らず入りやすい雰囲気も人気の店だ。
だが、店主の長谷川健二さんが6年前から、完全予約制・1日1組限定の天ぷら専門店『天ぷら 蕎楽亭』を営業していることは意外に知られていない。
『天ぷら 蕎楽亭』があるのは、都営新宿線・曙橋駅からゆるい坂道を上って歩くこと数分。
白い暖簾のすみに書かれた「蕎楽亭」の文字がなければ、気がつかず通り過ぎてしまいそうな控えめな店構えは、まさに“隠れ家”そのもの。
店内はカウンターのみ6席。予約が入った時だけ店主の長谷川さんが神楽坂の『蕎楽亭』を抜け出して、こちらの店を営業する。
長谷川さんが『天ぷら 蕎楽亭』を開店したのは、2013年6月。知人の飲食店店主が店じまいをする物件を見に行ったのがきっかけだった。
長谷川さんは会社員を経て、以前からファンだった蕎麦の名店『松翁(まつおう)』に入店。1998年に独立して市ヶ谷に『蕎楽亭』をオープン。2005年に神楽坂へと移転し、蕎麦の名店としての名を不動のものにしている。
そんな長谷川さんは修業時代から蕎麦と天ぷらが大好物で、名店といわれる店を食べ歩いていた。だが、「どんなにおいしい天ぷらでも、ずっと食べ続けて〆が天丼や天茶だと、さすがに飽きてしまう。『(〆の天丼や天茶もおいしいけど)このおいしい天ぷらの最後に、大好きな『松翁』の蕎麦を食べられたら最高だな』といつも思っていました」(長谷川さん)。
天ぷら店にぴったりのこの物件を見た時、かつてのそんな想いがよみがえった。神楽坂の『蕎楽亭』を信頼して任せられるスタッフが育っていたことも、背中を押したという。
「1日1組限定でも、敷居は高くありません」
まったく宣伝をしていないため、予約はクチコミで知った常連とその知り合いがほとんど。月に3~4回くらい開くことが多いが、まったく予約がなく営業しない月もあるという。1日1組に限定にしているのは、「知らない人と同席せず、思いっきりくつろいでほしい」という願いから。
メニューは15,000円の「おまかせコース」のみで、12品で構成。最初に数品のおまかせ料理が出て、天ぷら一式・蕎麦・デザートという内容だ。
おまかせ料理は、希望を伝えれば可能な範囲で対応してもらえる。午後6時以降から予約可能で、遅い時間でも問題ないという。
「休み明けは神楽坂の店のほうの仕込みが立て込むため予約を受けられないことがありますが、それ以外はだいたい大丈夫です。決して敷居は高くないですよ」(長谷川さん)。
おまかせ料理の定番は、長谷川さんの故郷・福島県会津の味
最初に出てくる「おまかせ料理」は季節や仕入れの状況により変わるが、定番として多く登場するのが、長谷川さんの故郷・福島県会津の郷土料理だ。
▲「穴子の煮こごり」(写真上)
琥珀色に透き通った煮こごりは、口に入れた瞬間のプルプルした弾力と、あっという間にとろけるはかなさが格別。最後にだしのうまみがじんわり広がる。
夏には珍しい鱧子(はもこ)の煮こごりに変わるとのことで、それも楽しみだ。
▲「会津の馬刺し 盛り合わせ」(写真上)
地元の後輩に紹介してもらった店から週2~3回に分けて取り寄せている新鮮な馬刺しは、「モモ」「ヒレ」「レバー」の3種盛り合わせ。南蛮味噌、ゴマ油、塩、醤油など好みの味で食べる。
どれも臭みがまったくなく、とろけるようなやわらかさ。レバ刺しは、サクサクとした歯切れのよさに驚かされる。
▲会津料理「こづゆ」(写真上)
必ずコースに入る定番が、江戸時代から福島県会津地方に伝わる郷土料理「こづゆ」。
干し貝柱を戻しただしにほぐした貝柱、キクラゲ、ちくわ、里芋、ニンジン、白滝、干しシイタケ、豆腐、銀杏、もどした豆麩(まめふ=小さい丸い麩)のほか、今の季節はワラビ、姫筍などが入る。
「会津では家庭でもよく作りますが、地域によっても微妙に違うんです。店で出しているのは、私の実家の味です」(長谷川さん)。
貝柱のだしにさまざまな素材から出るうまみが加わり、なんとも滋味深い味わい。豆粒ほどの大きさの豆麩の、トロンとした食感が面白い。
『蕎楽亭』の天ぷらとは、コクの出し方を変えている
いよいよ、待望の天ぷら。
木箱に入った魚介類、見た目も美しい野菜が目の前に出され、そこから5品を選んで目の前の鉄鍋で揚げてもらう。
「蕎麦屋の天ぷらと、天ぷら専門店の天ぷらでは、コクの出し方が違います」と、長谷川さん。
同店では綿実油(めんじつゆ)とあっさりした太白(たいはく)胡麻油に、ごくわずかに炒りの浅いゴマ油を加えてほんのり香りをつけている。
神楽坂の『蕎楽亭』では1日に100人分くらい天ぷらの注文があるため、途中で足し油をして油が酸化しないように気を配りながら揚げるが、こちらの店では油の酸化を気にせず、食べ手のタイミングに集中できるのが嬉しいという。
▲天ぷら1品目の「才巻海老(さいまきえび)」(写真上左)、天ぷら2品目「タラの芽」(同・右)
才巻海老は1人前3尾。2尾はふつうの天ぷら、1尾は海苔を巻いた天ぷらになる。薄衣でからりと揚げながら、中は半生にとどめる絶妙な揚げ加減はさすが。
タラの芽は、山菜特有のほろ苦さが、油の甘みでさらに引き立つ。
▲天ぷら3品目「アスパラガス」(写真上左)、天ぷら4品目は、青じそと薄い衣に包まれた「ウニ」(同・右)
ウニの天ぷらは、「火を入れることで甘くなるウニを、特別に河岸の人が選んでくれているんです」(長谷川さん)というだけあって、驚くほどに濃厚な甘さ。磯の香りもきちんと残っており、「ウニの最もおいしい食べ方は天ぷらなのではないか」とすら思えるほどの美味。
▲神楽坂の『蕎楽亭』でも大人気の「穴子」(写真上)
いずれも敷き紙に油がつかないほどカラッと揚がり、しかも薄皮の中に生命力あふれるエキスを豊かに閉じ込めている。特に野菜は、生で食べるよりさらに鮮烈なみずみずしさを感じさせ、衣の軽く繊細な甘みの後に、ほっくりした豊かな甘みの揺り戻しがある。
そしてそうした絶品の天ぷらを、揚げ手である長谷川さんと呼吸を合わせて、真剣勝負のようにいただける楽しさ。神楽坂の『蕎楽亭』のあの心地いい賑わいの中で味わう天ぷらもいいが、こちらもまた格別だ。
乾麺とはまるで別物! 長谷川さんオススメの手打ちのひやむぎは必食!
同店ではコースの〆として2種類の蕎麦と、手打ちのひやむぎ、うどんから好きなものを選んで食べられる。
「ほとんどの人が4種類全部、と言いますが(笑)、私はいつも、ひやむぎをおすすめしているんです」(長谷川さん)。
▲左の皿の上が「並」、下が「田舎」、右の皿の上が「うどん」、下が「ひやむぎ」
粗挽きの蕎麦粉十割で作った「田舎そば」(写真上・手前)は、含水率が低い会津産の蕎麦粉に熱湯を加えて糊化することで固く締めて打ちやすくする、会津独特の方法。冷やで味わうとツルッとしたなめらかさと力強いかみごたえがあり、かみしめた後に蕎麦粉の香りが口中にふんわり広がる。
「並」は、シャキシャキした歯ごたえで爽快なのどごしだ。
小麦のうち半分を自家製粉した古来種の小麦を使用し、店内で手打ちにしているひやむぎは、強い弾力と、かみしめた時の麦の香りと甘みが衝撃的。乾麺のひやむぎのイメージが覆る驚きの一品だ。
原料の小麦に胚芽を少量加えている手打ちのうどんの弾力はさらに強く、かんだ瞬間に歯が押し返されるよう。だが、その弾力に負けじと噛みしめるたびに、麦の甘みがどんどん湧きあがる。胚芽に含まれる繊細なえぐみが、隠し味となって小麦の甘みをさらに引き出しているのだろう。
▲日本酒や酒器は神楽坂店よりも、長谷川さんのこだわりをより前面に出したものを揃えている
「この店は、趣味であり息抜きであり、大事なことを思い出すための場所」
こちらの店では、お客とじっくり会話を楽しみながら料理を提供できることも、長谷川さんにとって大きな楽しみだという。
「『大将、よくしゃべるんだね』と、常連のお客様に驚かれることもあります(笑)。『蕎楽亭』では忙しすぎてお客さんとしゃべる暇もないので、無口だと思われているようですが、本来は話し好きなんですよ」(長谷川さん)。
『天ぷら 蕎楽亭』は自分にとって好きなことができる“趣味の店”“息抜きの店”であると同時に、「やらなければいけない」と思いつつ、普段は忙しさに追われてできないことをやれる店でもあるという。
『蕎楽亭』の常連客にとっては、入魂の天ぷらをゆっくり楽しめることと同時に、多忙な長谷川さんを独占できることもまた、天ぷらの味とともに味わえる最高の贅沢なのだろう。
【メニュー】
・おまかせコース 15,000円
・地酒 750円~
※サービス料10%
※本記事に掲載された情報は、掲載日時点のものです。また、価格はすべて税別です
撮影:岡崎慶嗣
天ぷら 蕎楽亭(きょうらくてい)
- 電話番号
- 03-6755-2500
- 営業時間
- 希望の時間 ※ただし来店日の3日前までに要予約
- 定休日
- 土曜
- 公式サイト
- https://www.facebook.com/%E5%A4%A9%E3%81%B7%E3%82%89-%E8%95%8E%E6%A5%BD%E4%BA%AD-462144800660190/
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。