幸食のすゝめ#092、ふつうの鶏には幸いが住む、大井町。
「ココってさ、実はアチャールとか、ニラ玉とかもおいしいんだよ」、まな板前に座った若いカップルの男性が得意げに話している。数日前、初めて来店して、今度は彼女を連れてやって来た。
目の前のまな板では、凄まじいスピードで若鳥が捌かれて行く。
「ますます謎!? こんな風に目の前で鶏が解体されるの見たのも、串に刺さない焼鳥も初めて!楽しみ過ぎる!」
顔をくしゃくしゃにして無邪気に微笑む彼女につられて、店主の石井(正道)さんも、満面の笑顔になっている。
本当にここに店を開いてよかった、開店して1カ月、何度もリピートしてくれるお客さんに出逢うたび、石井さんは何度もそう思った。狭い小路に、様々の小さな飲食店が建ち並ぶ東口の飲食店街ではなく、主要な通り沿いでもない。
むしろ、閑静な住宅街の中。人通りも、決して多い方ではない。
でも、通りに向いた大きな窓を、みんなが不思議そうに見つめながら通り過ぎる。
そして、そのうち何人かが恐る恐る店のドアに手をかける。石井さんは、今でもその瞬間に胸が躍る。
もちろん、前のお店からの根強いお馴染みさんたちもいる。
鶏に対する深い知識と、並外れた包丁さばき。各部位に施される、それぞれ的確な火の入れ方。スカやロックステディのDJで培った、リズミカルで気さくな接客。
石井さんの独立を待っていたファンたちが、前店の五反田から大井町へたくさん駆け付けてくれた。
始まりは、原宿だった。大好きな音楽に寄り添う服を作っていたメーカーに、千葉の茂原から電車を乗り継いでやって来た。服屋になって数年が過ぎ、自分自身がキラキラした原宿の景色になった頃から、なんだか洋服に対する熱が冷めて行った。
手に職をつけよう、だったら大好きな食べ物に関することがいい。漠然とそう思い、当時大ブレイクしていた居酒屋に就職。よく一緒に飲み歩いていた当時の店長が、ある日、五反田にある焼鳥屋に連れて行ってくれた。
「ここは絶対、見ておいた方がいい」と…。
カウンターで、店主の大高さんの前に座ったとたん、その意味が分かった。
店主自身は寡黙だけど、彼の包丁は饒舌だった。
とんでもないスピードで、一つひとつの部位になって行く若鳥。捌いた横から焼かれる焼鳥は、生まれてから一度も経験したことのないうまさだった。しかも、使っている鶏は地鶏や銘柄鶏ではなく、ごくふつうのブロイラーだと言う。
いつか、ここで勉強したい、そんな気持ちが心の底から込み上げてきた。
それから1年半後、石井さんは五反田の名店『庭つ鶏』のカウンターに立っていた。
店主の大高さんは、包丁の使い方以前に、まず徹底した衛生観念を弟子に叩き込んだ。
生き物の命を頂いて、その場で捌いた新鮮な肉をお客さまに提供するということの意味について、何度も何度も、頭で、身体で、反芻(はんすう)した。
入店して5年目、師匠の大高さんは葉山の一色海岸に新店を開くことが決まり、神奈川へ。
『庭つ鶏』の味と技術は、石井さんの手に委ねられた。
もちろん、師匠と同じく食肉処理免許も取得した。管理が厳しい鶏肉業界では、免許保持者がいる店にだけ食鳥処理場の許認可が出される。
「おいしい焼鳥は新鮮な鶏からしか生まれない」、師匠の哲学を継承するためには食肉業者に頼らない確かな技術と、徹底した安全管理の認識が不可欠だった。新鮮な鶏を丁寧に捌いたら、その味にかなうものはない。大高哲学は石井さんに引き継がれ、店は繁盛を極める。
出身店へのオマージュと、自分らしさのジャム
店を任せられて、4年。自分の城を求めて、独立を決意。
偶然通りかかった大井町の裏通りで見つけた物件にひと目惚れして、石井さんの新しい物語が始まった。
店名は『若鳥焼き もばら』、ネーミングの由来はもちろん、愛してやまない故郷の地名だ。
名前だけではない、店で人気の大きな「揚げつくね」は、茂原からほど近い白子町の肉屋で行列ができる九十九里のソウルフードだ。
焼鳥のメニューと技法は、敬愛してやまない『庭つ鶏』オマージュだが、サイドメニューでは自分らしさを出して遊びたい。
インド料理のアチャールがあるのも、スバイス好きの石井さんならでは。独特の形の「にら玉」は、フィレンツェ風オムレツから思いついた。店に流れる音楽は、友だちのDJが選曲してくれた大好きなスカやロックステディ。鶏を捌くスピードが一層早く、リズミカルなパフォーマンスになる。
何処よりもうまく、何処よりもリーズナブルに
お通しの「鶏皮スーブ」から始まって、湯引きとヅケにされた「鶏刺し」を食べ、鶏1羽の形のまま焼かれる「かわ」や、色んな部位の焼鳥を食べて、〆のお茶代わりに出される「鶏ガラスープ」まで、思う存分焼鳥を食べてもお勘定はびっくりする程リーズナブル。その理由は、近隣のブロイラーを使い、すべて自ら処理している所以だ。
「遠くの地鶏より、近くの新鮮ブロイラー」、ねっとりと甘い味の深さに誰もが目を見張るはずだ。同じく大井町の『そのだ』や、品川の名店『鳥てる』と同じく、なるべく大きい部位のまま加熱することで、鶏肉自体が持つ味のポテンシャルは最大限に発揮される。
深夜に養鶏場を出て、7、8時間後には、まな板の上で解体を待つ、ごく平凡なブロイラーたち。
ふつうの鶏には、幸いが住んでいる。
【メニュー】
もも焼き (大)1,350円、(小)900円
むね柚子胡椒 (大)950円、(小)500円
手羽 (大)950円、(小)500円
かわ/砂肝/れば/はつ 450円
なんこつ 500円
内臓盛り合せ 850円
焼きえだまめ 500円
から揚げ (6個)900円、(4個)750円
揚げつくね 600円
鶏刺し (2人前)900円
にら玉 600円
レバーペースト 800円
庭つ鶏サラダ 750円
新じゃがのアチャール450円
自家製ぬか漬け 400円
そぼろ玉子かけごはん 500円
ビール (ジョッキ)570円、(グラス)400円
淡路島レモンのサワー 550円
グレープフルーツサワー 450円
ホッピーセット480円
下町ハイボール400円
ハイボール480円
本格焼酎各種 550円
日本酒 680円~
※本記事に掲載された情報は、掲載日時点のものです。また、価格はすべて税込です
若鳥焼き もばら
- 電話番号
- 03-5718-3157
- 営業時間
- 17:00~23:00(鶏が無くなり次第閉店)
- 定休日
- 毎週日曜日 祝日
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。