蔵元併設テイスティングルームで堪能する酒と文化のペアリング
ワイナリーでの1日、その幸せについて当コラムでも数度お伝えした。なんといってもそのワインが生まれる場所で、風、太陽、肌に触れる空気を感じながら味わう1杯は格別。そして併設のレストランなどで、そのワインを送り出す人たちが考える、食や文化を堪能できること。これがかけがえのない体験となる。
日本酒も同様だ。最近では蔵元見学に出かける人も増えているが、それに伴い、蔵元併設のレストランや充実したテイスティングルームも増えている。そのひとつ…というのでは言い足りない、出色の場所がある。生きる伝説と若い才能とが紡ぐ作品を、その水と空気、食と地域の文化を体感し、さらに日本酒をいかに豊かに味わうかを通じて知ることができる場だ。
日本酒造りの神様・農口尚彦さんが杜氏の「農口尚彦研究所」
石川県・小松市、市街から車で20分ほど離れた山里。日本最高峰の醸造家のひとりで、生きる伝説でもある農口尚彦(のぐちなおひこ)氏を杜氏に迎えた「農口尚彦研究所」。ここに併設されたテイスティングルーム『杜庵~とうあん~)』(写真上)がその場所。
その場に案内する前に、農口さん(写真上)について紹介しよう。1970年代以降低迷を続けた日本酒市場の中で「吟醸酒」をいち早く広めた火付け役であり、また戦後失われつつあった「山廃仕込み」の復活の立役者でもあった。
全国新酒鑑評会では連続12回を含む通算27回の金賞を受賞。70年近い酒造り人生の中で数々の銘酒を生み出してきた。酒造りの神様といわれる氏は一度酒造りから離れ、日本酒の世界では落胆の声が広がったが、しばらくのブランクを経て、2017年11月、「農口尚彦研究所」の設立とともに第一線に復帰。現在87歳。しかし闊達、意気軒高、そして輝きのある笑顔で酒造りに挑んでいる。
なんといってもその酒は、いまだに新しい。伝統の中で生きているのではなく、いまもまだ伝統を更新している。それがすごい。その「生きる伝説」の歩みと現在は「ギャラリー」と称された見学コースで知ることができるので、テイスティングルームの前にご覧になることをお薦めする。
蔵人の作品を堪能できる、伝統・季節感・飲み比べなど「3つのコンテンツ」
『杜庵』に戻ろう。九谷焼人間国宝 吉田美統氏、大樋焼十一代 大樋長左衛門氏によるディレクションで、裏 千家ゆかりの地である小松市に敬意を称し「茶室」をイメージした空間(写真上)。
西面窓外には四季折々の田園パノラマビュー、酒づくりの季節には東面窓から圧搾室と仕込室で酒を造る蔵人の様子を見学できる設計となっている。
かの地の文化を入っただけで体感し、酒が生まれる自然と、生み出す設備を同時に理解できる。
ここでは一般的なイメージのテイスティングではなく、農口さんたち蔵人の作品を堪能できる仕掛けがある。それは「3つのコンテンツ」と題されたもので、①本日のおすすめ蔵酒、②3酒の飲み比べ、③伝統と季節感という5酒で構成されるプレゼンテーションだ。
例えば筆者が訪問した際の3酒の飲み比べは「純米酒 無濾過原酒 2018BY」にフォーカスし、器の形や焼き物の違い、温度帯により3つのパターンで味わうというものだった。これにより、自分がいまどんな気持ちで酒を飲みたいのか? ゲストをもてなせばいいのか? という気づきがあり、自然に酒の楽しみ方の知見や方法も知ることができる。
地元の知恵と恵みが詰まった発酵食品、珍味との組み合わせも、ある種、茶席でのお茶とお菓子の関係を思わせるもので、いずれも「純米酒 無濾過原酒 2018BY」をより深く、より広く味わいながらその深淵にアプローチしていく楽しさがあった。
名シェフと農口杜氏のペアリングイベントは絶対体験したい!
『杜庵』では通常のテイスティングの他、農口さんの酒と国内外の一流シェフのコラボによる「Saketronomy」というイベントを開催している。「Saketronomy」は、地元農産物や食に関わるクリエイターの発信拠点を創造し、小松市を「美食のまち」として世界中の美食家達の「旅の目的地」とすることが目標のプロジェクトから生まれた。
「農口尚彦研究所」を中心に、地元の有機JAS認証米の栽培農場である「護国寺農場」、有機JAS認証野菜の栽培農園「西田農園」が加わり、このメンバーで、「Sake」と「Gastronomy」の融合をコンセプトとしたペアリングイベントを定期的に開催している(要予約)。
1回目は、2019年3月25日に開催され、ゲストシェフにはフランス料理世界大会ボキューズドール 2019 の日本代表である髙山英紀シェフ(『メゾン・ド・タカ芦屋』)が参加。6皿+デセールまで続くペアリングの基本は王道フレンチと酒の組み合わせが軸だったが、農口杜氏の酒は見事に手を取り合った。この時の体験は格別なものだった。
そして2020年1月24日、3回目を迎えた「Saketronomy」のゲストシェフは、田中淳氏。名門『ピエール・ガニェール』にて、東京、パリで部門シェフを任され、以降欧州の名店で経験を積み2014年に独立。パリにて『A.T』のオーナーシェフとして活躍している。
今回提供されたのは10酒12杯のバリエーションと12皿のペアリング。田中シェフと『杜庵』のスタッフはこのペアリングで、テイストやテクスチャーというペアリングの基本要件だけではなく、温度、酒器という、さまざまな組み合わせの妙や楽しさを見せてくれた。
話は一旦それるが、筆者がなぜ酒が好きかといえば、ワインやそのほかの酒もそうなのだけれど、その酒からいろいろな世界が広がることにある。日本酒で言えば、どの地域で生まれたものかでその地の食や文化を知りたいと思うし、それを堪能する時間が幸せ。どんな酒器で楽しむかもまたその酒自体の魅力を引き出してくれる。
今回のプレゼンテーションはそこまでを感じさせてくれたという点でも素晴らしかった。普段から『杜庵』にて行われている器、温度帯などまで含めた提案が、田中シェフの料理を通してより納得できた。
それは1皿目~3皿目という序盤で早くも。1皿目、原木の石川県産しいたけを使った料理と(田中シェフのメニューには主要となる素材が書かれているだけで料理名としては記されていない)とともに登場したのは「DAIGINJO 無濾過生原酒 2018」(写真下)。
ここで登場した酒器は越前塗。木の軽やかさがゆるやかに濃厚さを感じる酒の感覚的な重さを邪魔せず、液体をそのまま持っているような感覚。何の邪魔もされず酒そのものと能登の土と木の豊かさを引き出した料理が引き寄せあう。そして改めて酒器を見れば木のやわらかさ。この組み合わせにはMINGEI(民芸)とでも作品のタイトルをつけたくなった。
続く2皿目は一転、洗練と風流の九谷焼。花柄と(文字)の中に清らかで華やかな「YAMAHAI MIYAMANISHIKI 無濾過生原酒 2018」(写真上)が注がれる。料理は爽やかな酸味を持つ木の芽、ハーブが使われた能登牡蠣。器、酒、料理の3者が早春を思わせる景色の中で一体化した。
3皿目に酒は燗で。「冬の燗酒 無濾過 2018」は人肌よりやや低めの33度程度。すずの酒器に入れられ、ほのかに指からぬくもりが伝わる。酒は冷酒でこそ、という考え方の方もいるようだが、燗でこそ味わえる世界があることをこの酒は示してくれる。合わせた料理はシンプルながらもうまみを凝縮した冷製のハマグリに白ワインやゆず、ディルなどを強めの塩味で仕上げたあたたかいスープ。テイストでいえばうまみ、酒のやわらかさに、塩味と酸味という3つの組み合わせで、さらにここに冷、温、熱の3つの温度帯の組み合わせでもある。こうした複雑ながらも直感的な組み合わせを一皿一酒で表現してくれることは、喜びであった。
酒蔵見学とともにその世界を素晴らしい空間とともに味わう午後も、著名シェフを招いたイベントを通じて食と酒の関係を堪能する特別な日も。『杜庵』というテイスティングルームは、酒と食を巡る旅の目的地として、実に幸せな場所だ。目で見て味わって、その向こう側を感じる。
五感で味わうというのはよく聞く、またよく使う言葉だが、ここはそれを存分に感じられる場所だし、その上で、知らず知らずに自分を磨ける場所でもあるように思う。
酒と食だけではなく、酒と文化のペアリング。茶室が文化を育み磨く場所だったように、『杜庵』もまた、酒から、酒を、酒で、文化を教えてくれる。しかもただただ楽しく。
農口尚彦研究所
- 電話番号
- 0761-41-1227
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。