オフィスビルの地下に、本格的な茶懐石を楽しめる空間が出現!
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海外にも広がる抹茶ブームで、抹茶の新しい楽しみ方を提供する店が増えている。そんな中、茶懐石料理を中心に、茶道をさまざまな形で体験できる店『即今(そっこん)』が注目されている。
茶懐石とは、茶の湯で最も正式な「茶事」で出される軽い食事のこと。あくまでもお茶をおいしく飲むことが主眼で、千利休(せんのりきゅう)の時代から一汁一菜や三菜の簡素な料理が出されていた。
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『即今』があるのは、南青山の骨董通りにあるオフィスビルの地下。薄暗い階段を降りると下足棚があり、靴を脱いであがると、和服姿のスタッフが静かに店内にいざなってくれる。
入口も廊下も間接照明のみでほの暗く、どの部屋も扉が閉ざされていて、スタッフの誘導がなければどちらに進めばいいかもわからない。スタッフが扉を開けるたびに「こんなところに部屋が!」と驚かされ、隠し扉だらけの忍者屋敷のようでもある。
南青山のオフィスビルの地下に、こんな非日常的な空間があるとは…!
まるでタイムスリップ! 店内には3つの客間
『即今』の部屋は、大きく分けて3つ。大勢で多目的に使える広間と、個室として使える小間が2つある。
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通常は、床の間の前の四畳半をベースに、周囲に3つのテーブル席を設けた広間「爛酔(らんすい)亭」(写真上)。
テーブル席は掘りごたつ式。正座をしなくてもいいというだけで、ぐっと心理的なハードルが下がる。四畳半には炉(いろり)があり、ここでお点前を楽しむこともできるし、各テーブルにある炉型のIHで気軽にお点前をすることができる。
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メインでお茶のお点前が見られる茶室・三畳台目「即今」(写真上)は、型破りな禅僧・一休宗純(いっきゅうそうじゅん)ゆかりの寺院として知られる「真珠庵(しんじゅあん)」の古材を使用している。
このほかに、カクテルバーとしても使える三畳間「笊籬菴(そうりあん)」があるが、全貌は後ほど…。
「茶懐石は、人をもてなし楽しむパーティのようなもの。お点前ができない人にも、その楽しさを体験してもらいたい」
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調理も担当する店長の鈴木将士さん(写真上・左)は、「茶懐石と聞くと堅苦しいイメージを持たれる方が多いのですが、実は料理とともにお酒を酌み交わす、宴席のような場面もあります。茶懐石本来の楽しさを、肩肘はらずに楽しんでいただけたら嬉しいですね」と、にこやかに語る。
オーナーの宇田川宗光(うだがわ そうこう)さん(同右)は、祖母が香道(こうどう/天然香木を鑑賞する芸道)と茶道を嗜んでいたことから、幼少の頃より茶道を学ぶ。
会社員として働きながら、十六代堀宗友に師事して宗和流茶道を学んでいたが、5年前に宗和流茶道の十八代を襲名。それに伴い大徳寺・真珠庵の山田宗正(そうしょう)和尚の下で得度し、寒鴉齋(かんあさい)の號を授かっている。
……と聞くとまるで雲の上の人のようなイメージだが、実際の宇田川さんは人を驚かせたり喜ばせたりするのが好きで、マジックが趣味(!)というフレンドリーで快活な方。この店を作りたいと思ったのも、茶道を知らない人を茶事に招くと驚いたり喜んだりされることが多かったことから、「点前を知らなくても茶事を体験できる場所を作りたい」と考えたのがきっかけだという。
「『茶事』とは茶の湯において、懐石、濃茶、薄茶をもてなす正式な茶会のことですが、お点前や作法のイメージだけが広まっていて、席中でお料理やお酒を楽しむということをご存じない方が意外に多くいらっしゃいます。また、茶事をご存知の方も、懐石のフルコースをやらなければならないと思っていらっしゃる方も多いのです。『即今』では、自分に合わせたスタンスで、自由にアレンジしてお茶を楽しんで欲しい、という提案をしています」(宇田川さん)
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同店を利用するのは、「全くお茶は知らないけど、一度お茶を体験してみたい」という人から、お茶を習っていて「もっと気軽にお茶事をしたい」と思っている人まで幅広い。
また「自分でお茶事や点前をしたいが、自宅でやるのには準備も大変」という方が、茶碗や掛軸をいくつか持参して、後は即今にお任せで利用することもあるとか。
茶事の食事のメインはあくまで「お茶」。料理はお茶をおいしく味わうためにある
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『即今』では懐石コースのほかに単品料理もあり、お酒も用意されているので、ふらっと立ち寄って軽く料理をつまみながら一献傾けるといった使い方も可能。
料理と茶事にちなんだカクテルのペアリングもできるし、もちろん薄茶と主菓子だけを味わうこともできる。
今回体験したのは、最もシンプルなコース「茶懐石セット(花)」。
「茶懐石は本来、茶席でお茶を点てるために火をおこし、お湯を沸かすまでの間のおもてなしとして提供していた料理。メインはあくまでもお茶であり、お茶をおいしく味わうための料理ですので、奇をてらわない“お茶のための茶懐石”を心がけています」(鈴木さん)
スタンダードな「茶懐石セット(花)」を体験!
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「茶懐石セット(花)」の内容は、向付(刺身)、日本酒一献、煮物椀、焼物、飯、汁、香物、主菓子、薄茶。
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本日の向付は、「真鯛の昆布〆」(写真上)。
その時々の旬の魚を昆布で締め、二杯酢を合わせている。その飾らない潔さゆえに、真鯛のうまみがダイレクトに感じられる。
コースでは、これに日本酒一献がセット。日本酒が付くだけで、宴会気分になりぐっとリラックス。
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煮物椀は、「アワビのしんじょう」(写真上)。茶懐石の一汁三菜では、一番出汁で頂く煮物椀がメインとなるのだそう。
タイのすり身とヤマトイモで作ったしんじょうに角切りの生アワビを混ぜている。しんじょうのなめらかさ、アワビの弾力、エビのプリプリ感…、ごく淡い味付けの汁が、それぞれの素材の食感を絶妙に引き立てている。
9月以降の具は、松茸やグジ(甘鯛)に変わる予定だ。
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焼物は「カマスの幽庵焼き」(写真上)。
カマスを醤油・酒・みりんに柚子の風味をつけた幽庵地(ゆうあんじ)に漬け込んで、付け焼きにしている。皮はパリッと身はふっくらで、見事な焼き加減。後口にのこるほのかな柚子の香りが爽やかだ。茶懐石では大皿に人数分盛られて取り分けるが、コロナ対策で一人前での提供としている。
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飯と汁(写真上)。
ご飯はごくやわらかめ。茶事では最初に炊きたてのやわらかい飯を一口出すが、茶懐石セットでは親しみやすく、最後にご飯と味噌汁を出している。
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味噌汁は、夏は汗をかくため、塩味のきいた赤だし、冬は温まる白みそ、春と秋は合わせ味噌にするなど、細やかな心遣い。
“奇をてらわない茶懐石”というが、いずれも丁寧に調理された素材の本質を味わえる料理ばかりだ。
主菓子は、鎌倉時代の茶菓子をイメージした「大根の菓子」
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いよいよ、メインのお茶。茶事の主菓子(おもがし)というと、餡を使った練り切りなどのイメージが強いが、『即今』で主菓子として出しているのはなんと「大根」(写真上)!
「『茶の湯』が発達した鎌倉時代では砂糖は貴重品で、栗などの木の実、干し柿や梨などの果実、アワビ、シイタケなどの天然の甘みをお菓子として茶事に用いていました。その体験をしてもらいたいと考えたのですが、さすがに舌が甘みに慣れた現代人に大根の甘さだけでは物足りないと思い、ほんの少しだけ和三盆を加えています」(鈴木さん)
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ひと口大に切って口に運ぶと、最初に感じるのは大根のみずみずしい汁気。味覚を研ぎ澄まし、その中の淡い甘みを探る。和三盆のほのかな甘みが、大根本来の複雑な甘みをじわじわと引き出す面白さ。古(いにしえ)の茶人たちもこうして、自然のわずかな甘みの奥にある禅味を探り当てていたのだろうか…。
取材をしたのは8月。季節感を重視するはずの茶事で、夏に大根を使用しているのにも理由がある。通年、この主菓子を出すことで、常連のお客に季節による大根の甘みの微妙な変化を楽しんでもらうためだ。
メインの薄茶は、茶碗選びも楽しめる
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主菓子の後の薄茶はスタッフに点ててもらうこともできるが、自分で点てることも可能。
床の間には、いくつかの抹茶茶碗が置かれ、自分で好きな器を選んで点ててもらうことができる。これも、全くの初心者の人にも茶事の楽しみに親しんでもらうための新しいスタイルだ。
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スタッフにお茶を点てていただく…。
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流れるような所作の美しさに感じ入りつつ見ていると、お茶への期待感がどんどん高まっていく。
「茶事では、最後のお茶がメインであり、ゴール」という言葉の意味が、わかったような気がする。
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薄茶をじっくり味わう。正座をしなくていいテーブル席なので作法も特に気にせずに、薄茶の味に集中できるせいか、「一杯の中に、こんなに複雑な味の変化や余韻があったのか」と、そのおいしさを再発見した気持ちになる。
『即今』ならではの日本らしいカクテルもおすすめ
「茶懐石セット(花)」は、すべてを広間「爛酔亭」でいただく手軽なコースだが、もうひとつのおすすめは、『即今』のすべてを一通り体験できる「即今コース」。
まず茶室で主菓子と薄茶をいただき(1日1組限定)、広間に移動して懐石を、最後に三畳間「笊籬菴」でカクテルを楽しむ流れだ。
「気軽にと言っても『お茶』というだけで尻込みしてしまう方もいらっしゃるので、バーとしてカクテルを一杯、という提案もしたいと考えました。抹茶もカクテルも海外から来た文化を、日本らしいマニアックさでアレンジして、日本独自の文化にしてきた、という歴史が共通しており、その空間の演出も似ていると思っています」(宇田川さん)
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バーテンダーの濱崎歩さん(写真上)も、茶道宗和流の茶人。
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黒の襖(ふすま)を開けば色とりどりの酒瓶の棚があらわれ、一瞬にしてカクテルバーに早変わり!
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『古今和歌集』の有名な和歌と、「天下三肩衝(てんかさんかたつき)」と呼ばれる茶器のひとつ「初花(はつはな)」にちなんだカクテル「初花」(写真上)。
花びら染めに使われる「紅花」のハーブティーと、ライチのリキュールとシロップ、ウォッカを混ぜ、桜フレーバーのキューブゼリーを沈めている。フルーティで華やか、まさに咲き始めた桜の花のようにフレッシュな味わいだ。
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「遅桜」(写真上)は、カシスリキュールに冷たい薄茶を合わせ、レモンを搾り込んだシンプルなロングカクテル。同じく茶入れの「遅桜(おそざくら)」にかけ、「春の満開の桜も素晴らしいが、夏になって青葉にまじって咲く遅咲きの桜は更に清新で素晴らしい」と詠んだ『金葉和歌集』の有名な和歌にちなんでいる。
かき混ぜながら飲むと、薄茶の爽やかな苦み、カシスとレモンの爽やかな酸味の融合を感じる夏らしいカクテル。このカクテルは、抹茶とカシスリキュール、レモンがあれば家庭でも簡単に作れるそうで、「ご家庭で手軽に抹茶カクテルを味わって欲しい」という想いも込められているのだ。
「堅苦しいルールは不要。自分なりの楽しみ方を見つけてほしい」
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オーナーの宇田川さんは、茶道に敷居の高さを感じる人にはまず、バー利用からのスタートをすすめている。
「そこで茶道具や日本文化にまつわるオリジナルカクテルの話を聞いて茶事に興味を持てたら、次は茶事の体験をしてもらえたら嬉しいですね。茶道は総合芸術ですので、茶道具や美術品、お花や料理やお酒など、その人なりのお茶の楽しみ方を見つけてもらえる店になればと思っています」(宇田川さん)
ひとつの料理、主菓子、1杯のカクテルをいただくたびに、これまで知らなかった世界への扉が開く。おいしさとともに“知”を愉しむことができ、その愉しみを深めるためにもっともっと知りたくなる…『即今』はそんな店だ。
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【メニュー】
・茶懐石セット(花) 4,500円
向付(刺身)、日本酒一献、煮物椀、焼物、飯、汁、香物、主菓子、薄茶
・即今コース 9,800円
(茶室で)主菓子、薄茶、(広間で)向付(刺身)、日本酒一献、煮物椀、焼物、飯、汁、香物、(バーで)カクテル1杯
<カクテル>
初花 1,500円
遅桜 1,200円
※本記事に掲載された情報は、掲載日時点のものです。また、価格はすべて税込みです
撮影:岡崎慶嗣
南青山 即今
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