当たり前の日常を取り戻すための試練
緊急事態宣言が発令され、人通りが途絶えた街角。いつの頃からか、「戦争」という言葉が頻繁に使われるようになった。最初は、フランスのマクロン大統領が全国民に対する声明で使い、政治家たちやジャーナリスト、TVのコメンテイターたちが繰り返し使うようになる。
イタリアやアメリカ、日本でも「ウイルスとの戦い」という言葉を何度も耳にした。
でも、その例えは絶対に正しくない。僕らは決して、戦争をしている訳ではないからだ。
今回の緊急事態は戦争と同じくらい深刻だが、戦争とは本質的に異なっている。
ウイルスとの闘いは、(お互いが信じる)善と悪や、敵と味方の対立ではなく、どれだけ知恵を絞って、助け合い、繋がって、当たり前の日常を取り戻せるかという人間たちの試練の時間だ。
敵を打ちのめすための武力の戦いではなく、人が互いに生かし合うための知恵の闘い。そこに必要なものは、敵意や憎しみ、憤怒ではなく、尊敬と優しさ、愛と思いやりに違いない。
世界を愛でいっぱいにするために
「What the World needs now Is Love(世界は愛を求めている)」は、今から50年以上も前にバート・バカラックが作った(詩はハル・デビット)曲だ。近年、「渋谷系(音楽)」の集大成として、野宮真貴さんがリリースしたアルバムでも表題曲に選ばれている。
「今、世界が必要としているものは愛、ささやかな優しさ♫」と、何度も繰り返して歌われる。
今、世界が必要としているのは消毒液やマスクであり、開発が待たれるワクチンかもしれない。
でも、そのすべてが行き渡ったとしても、愛や思いやり、優しさが足りなければ、世界は砂漠のようにカサカサに乾いてしまうだろう。
僕はジャッキー・デシャノンが歌った、オリジナルの「What the World needs now Is Love」をヘッドフォンで聞きながら、マスクと眼鏡で三軒茶屋に向かった。
そこには、3.11(東日本大震災)とコロナ。2つの試練を持ち前の行動力とホスピタリティで乗り越えた人物がいる。
福島県双葉町で生まれ、三軒茶屋でリスタートした『JOE‘SMAN2号』
「こんなに花の匂いがするんだ、と思ったんです。逆に強いとさえ感じるくらい、花の香りがしました。車の交通量が減ったし、人の往来も少なくなって、空気がきれいになったのかもしれない。悪いことばっかりじゃないな、ふとそう思いました」。
4月の帰り道、三軒茶屋から下北沢に繋がる茶沢通りとクロスする暗渠(あんきょ)の遊歩道には春の花が咲き誇っていた。
「(緊急事態宣言が出された)4月の1カ月くらい、スタッフには休んでもらって、毎日、店には出かけてたんです。もちろん、店自体は新型コロナウイルスの感染拡大による都からの営業自粛要請によって、4月いっぱい休んでました。申請書類を用意したり、メニューの試作を繰り返しながら、今後どうしていくか? そればかりを1人でずっと考えていました。決して、(コロナ前と)同じ状況には戻らない。それまでの飲食店の常識というものが崩壊していく中で、どれだけ時代の変化に対応できるか? その答えを探し続ける毎日でした」。
もともと高崎丈さん(写真上)の店、『JOE’SMAN2号(ジョーズマンにごう)』は単に酒を出し、料理を振る舞う場所ではない。
「熱燗(という日本独自の文化)を世界に広めたい」という、丈さんの夢の発信基地として、視線はいつも小さな街を飛び出して世界へと広がっていた。
「地元のお客さまに愛されるというよりは、ここを目指して来てもらうというパフォーマンスを仕掛けて行く。いつも、そんな意気込みで臨んでいました」。
しかし、自粛要請の中、人々は「(自分の)駅から出ない」という選択をした。
連日、国内の日本酒関係者や蔵元、様々な飲食店のスタッフ、多くのファンたちが集まり、燗酒の可能性を試すサロンとして攻勢を極めていた『JOE’SMAN2号』は、突然、その方向性を見失いかける。
その時、丈さんの頭の中に9年前の出来事が蘇った。
三軒茶屋の店に付いている『2号」という名前の通り、店にはもともと「1号店」があった。3.11で帰還困難地域に指定された福島県の双葉町だ。
JR東日本・常磐線の双葉駅前の長塚商店街、そこに丈さんの両親が経営する『キッチンたかさき』があり、その20メートル程先に『JOE’SMAN』があった。
2009年にオープン、しかし、たった2年で店は廃業を余儀なくされる。
哀しみのリフレインを越えて
「(3.11の時は)4日間くらい避難所にいたんですけど、とにかく情報が錯綜し過ぎてしまって、何をしていいか分からない状態でした。でも、当時、子どもが1人だったんですけど、子どもの将来を考えると、とにかく前に進み出さなきゃならない。そこで、ちょうど車のガソリンが満タンだったんで、嫁の実家がある千葉の四街道まで走ろう! と思ったんです」。
奥さんと幼い子どもを実家に残して、丈さんは帰省前に3年間勤務していた会社に再雇用を申し込む。
「武蔵中原や、溝の口、自由が丘に店がある地元密着型の居酒屋で、新鮮な魚と野菜が売りの所でした。出戻りという形で働かせてもらって、避難所になっていた『等々力アリーナ』から通ってました。その内に市営住宅の抽選に当たったんで家族を呼んで、とにかく3年間、恩返しのつもりで一所懸命に働きました」。
いつのまにか「帰れない街」になった故郷には、2年くらい経った頃、一度だけ訪れる。当時、申請すれば、住民だけは街に入ることを許されていた。あの日からそのままになっている『キッチンたかさき』と『JOE’SMAN』の姿…。(その後、町ぐるみで取り壊しになった)
緊急事態宣言が出た週末の街、それは、あの日見た主人(あるじ)のいない故郷の風景だった。
近所同士の仲がいい、みんなが家族みたいだった町。人と人との距離感が福島と似ていると思って選んだ三軒茶屋の街は、あの日見た故郷の哀しいデジャヴュに変わっていた。
とにかく、前に踏み出そう。3.11を越えて来た心が再び熱くなった。
「不安でいっぱいだけど、どこでやって行くのも、何をやって行くのも、これからは100パーセント自分次第なんだ! という不思議な高揚感があったんです」。
答えは父親の洋食屋にあった
やがて、少しずつ感染者数のグラフが下降線を辿り始め、多くの店がメニューのテイクアウトやデリバリーを始める。そんな中、丈さんが選んだのは思いもよらない選択だった。
「今の『JOE’SMAN2号』という店は、さまざまな熱燗(燗酒)と料理のペアリングを体感する場所。つまり、酒とか料理そのものに主体がある訳ではなく、リアルタイムなライヴ感こそが最も大切なんです。だったら、その料理をテイクアウトしても意味があるだろうか? テイクアウトで初めて食べた人が、これが『JOE’SMAN2号』なんだと思われては困る」。
ようやく東京の地で確立された『JOE’SMAN2号』というブランド価値を第一に考えたら、単なるテイクアウトだけでは表現できないという結論だった。
「その時、自分の親がやっていた店の存在を思い出したんです。双葉町で34年間やってて、地元の人たちに愛されていた店。ピンチの中だからこそ、新たなチャンスが見えてくるのかもしれません。いくつもの人気メニューがあって、今もみんなに懐かしがられている味。テイクアウトなら、誰もが喜んでくれる内容がいいかな、と突然閃いたんです」。
警戒区域と呼ばれるようになり、もう2度と食べられなくなったメニュー。原発事故前までは、みんなが普通に暮らしていて、それぞれお気に入りの店があった。
その中でも、『キッチンたかさき』は、当時の住民たちが書き込むSNSのスレッドにも、今もたびたび登場し続ける思い出の店No. 1だ。「ナポリタン」や「ポークガーリック」(写真上)、「たかラン」など、語られるメニューの向こうから、今はなくなってしまった、たくさんの日常が音を立てて響いて来る。
「非日常のライヴ感覚を売りにする『JOE’SMAN2号』の対極にある、日常そのものの田舎の洋食屋。とにかく、1日何回転してるか分からないくらい人が来て、みんな笑顔で帰って行く。ある意味、そのダサさが懐かしくて新しい。これなら、テイクアウトにぴったりだと思いました」。
その中で、新しい発見もあった。「逆アルデンテ」はテイクアウトをやってみて、初めて気づいたテクニックだ。
昔ながらの「逆アルデンテ」こそ、今求められている
「洋食屋をやって1番の発見は、逆アルデンテ(写真上)なんです。イタリアンでよく言うアルデンテは、強めの塩を入れて茹でて、少し芯が残ってるくらいがうまい。でも、『キッチンたかさき』流は、塩も入れないし、茹でたてでもない。茹で置きの柔らかい麺を、とにかくカリカリに炒めるんです。しっかり炒めることで、冷めても外側のカリカリ感が残るんで、中はモチモチのまま、テイクアウトにはぴったりです。見よう見まねで日本独自の洋食を作り出した昔の人たちの偉大さを感じます」。
父親時代のベストセラー、通称「たかラン」の「たかさきランチ」(写真上)も復活。田舎では蟹の爪フライが付いていたが、今回は『JOE’SMAN 2号』で使用している千葉・銚子の荒波で育ったメヒカリをフライにした。活き〆し、丁寧な血抜きを施された「一山ジャパン」の穴子も、フライやしゃぶしゃぶに使われている。
「人気のポークジンジャーが入る、お得な「新御三家ランチ」(写真上)のエビフライも穴子フライに変えたんです。縁もゆかりもない東南アジアのエビを使うなら、生産者の熱い思いが詰まっている穴子の方が意味があるかと…。お互い厳しいキャッシュフローの中で、大事なのは誰に使いたいか? 生産者さんや、蔵元さんに、お金が少しでも流れて欲しいんです」。
クラウドファンディングという名の貢献
その思いは、通常とは異なる形のクラウドファンディングにも繋がっている。
「きっかけは、何かお手伝いできることないですか? という大堀相馬焼き(おおぼりそうまやき)の陶器作家・松永さんからの連絡でした。自宅でご飯を食べる機会が増えたので、機能性があってスタイリッシュな豆皿や酒器などを作ってもらい、売ろう。もちろん、通常はクラウドファンディングの利益は開設した人達がもらえるシステムなんですが、そこに何だか違和感を感じたんです。支援で集まったお金が本当に「生きる場所」はどこなのか? 出した答えは医療機関にアルコールを届けることでした。つきあいが深い福岡の焼酎メーカー『天盃』の多田さんに提案してみると、「ちょうど今、申請中、うん! やりましょう!」と即答でした」。
3.11で避難を余儀なくされた浪江町の作家、同じ思いをした丈さんと、ちょうど消毒用アルコール製造を申請していた酒造会社。3者の思いが繋がった時、ウイルスに立ち向かう新しいチャレンジが生まれた。
双方向の店を続けるという決意
緊急事態宣言が解除され、『JOE’SMAN2号』も5月29日から通常営業が始まった。
そのきっかけでテイクアウトを辞める店が多い中、丈さんは12時から18時の間はテイクアウトも並行して続ける。
お昼には、『キッチンたかさき』として、洋食のランチも出して行く。
「『キッチンたかさき』を復活させた時から、二足の草鞋(わらじ)を履く覚悟でした。もちろん在庫は抱えてしまうけど、複合的な要素を持つ店をやることで、色んな発見や手応えもあった。もし今後、第2波、第3波と(ウイルス感染が)続くことがあった時、その度にまたやります! と言うより、ずっと続けている店の方が信頼して来て貰えると思うんです」。
これまで、一度外に出して、燗につけて瓶に戻し、再び冷やす「クラフト燗」や日本酒とワインのブレンドなど、常に日本酒の可能性を追求し続けて来た丈さん。
「変わらない、みんなに愛される味を出し続ける『キッチンたかさき』、新しいもの、面白いことに常にチャレンジして行く『JOE’SMAN2号』。まったく正反対のベクトルを持つ要素が混在してる店って楽しいなと思えて来たんです。少し背伸びをして言えば、今度のコロナ、出て行ったのはお金だけで、色々な勉強をさせてもらったなと思っています」。
丈さんの好奇心がなくならない限り、人は三軒茶屋の『JOE’SMAN2号』に集まって来るだろう。
震災も、ウイルスも、人を倒すことはできない。人を倒すのはいつも、憎しみと欺瞞と無関心だ。
おいしい洋食に舌鼓を打ち、花の匂いの中で乾杯しよう。ウイルスとの闘いを、1日も早く終息させるために…。
JOE’SMAN2号/キッチンたかさき
- 電話番号
- 03-6450-8792
- 営業時間
- キッチンたかさき ランチ12:00〜14:00、テイクアウト12:00〜18:00/JOE’SMAN2号 17:00〜22:00(L.O.21:00)
- 定休日
- 水曜
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。