心と身体を抱きしめた架空のメニュー
第二次世界大戦中の軽井沢、おなかを空かして、なんとなくしょげている7歳の弟に姉が声をかける。
「ねぇ、何が食べたい? いちばん食べたいものは何?」
驚いた弟に、姉は続ける。
「おいしいお献立を考えましょうよ。私は豚汁とミートローフがほしいわ。それから、デザートはショートケーキ」
「ぼくは、アイスクリームの方がいいな」
やがて、架空のメニューで元気になった弟はでんぐり返しをして戯(おど)けてみせる。
姉は戦後ニューヨークに渡ってアーティストになり、不思議な縁でリバプール生まれのロックンローラーと結ばれる。2人の間にショーンという息子が生まれた時、夫はギターを置いて主夫になり、思い出の地、軽井沢で一家の食を支えた。
夫の名はジョン・レノン。名曲の元になった「イマジン=想像しなさい」というキーワードは、8歳年下の夫に彼女(オノ・ヨーコ)が与えた架空のメニューだ。
降りしきる雨を越えていく小さな勇気
食と夢とインスピレーション、そして愛と音楽。人間の心を温めてくれる、いくつもの大切なものについて、この季節ほど静かに考えたことはなかったかもしれない。
僕はロナルド・アイズレーが歌う『Raindrops Keep Falling On My Head』を聴きながら、いつも通り、マスクと眼鏡、ヘッドフォンの完全装備で代々木上原に向かった。
そう、「いくら苦情を並べたところで、それで雨がやむわけじゃない♫」、必要なのは、自分が前に進みだす、少しばかりの勇気だ。
上原の街には、愛用のギター、ギブソンのレスポール・ジュニアを包丁に変えて熱いジャムセッションを続ける、鳥取生まれのロックンローラーと、同じく鳥取生まれの生涯のバディがいる。
地域のお母さんたちの味方になる
「最初っから、ターゲットは地域のお母さんたちと決めてました。学校はちっとも始まらないし、旦那さんはテレワークで1日中家にいる、おまけにコロナで自由に外食に行くことさえできない。
掃除や洗濯なんかのデイリーな家事はいつも通りこなさなきゃならないのに、それに加えてみんなの食事を日に3回用意する。今の季節、いちばん参っているのはお母さんたちに違いないんです」(安住壮一シェフ)
▲もともと『あんちゅう』は、和と伊、2ジャンルの料理を同時に楽しめるお店だった
和伊厨房『あんちゅう』から、テイクアウト専門店『のんのからあげ』への華麗な変身劇には、実は明確な理由とターゲットがあった。
しかも、急な思いつきなどではなく、実は2019年の夏くらいから考え始めていた新業態へのチャレンジの第一歩。だからこそ、慣れないテイクアウトで他店が足踏みを続ける中、いち早くトップとして暗闇の季節の中を独走できた。
「コロナだからやる! じゃなくて、既に(以前から)考えていたことなんです。2月中旬にはもう、からあげ・惣菜の店は頭の中にあって準備していました。どうしてもイートインだけでは限界があるし、次の店舗展開がやりづらい。もともとテイクアウトの惣菜の強さは分かっていたから、去年の終わりくらいから物件も探し始めていたし、新店で働いてくれそうな人に会ったりもしていました。
そんな中、(今年の)1月くらいから、コロナの影が押し寄せて来た。少しずつ、ニュースが深刻になって来て、3月頭、ディズニーランドが閉鎖になるって聞いて、こりゃもう直ぐ来るなと思い始めた。その内、どの店もテイクアウトのみになるだろうなと、すぐ思いました」
安住シェフ(写真上・右)の想像どおり、世の中の店は次々と自粛で休業への道を辿った。最終的にテイクアウトを選ぶにしても、すぐには稼働できない。約1カ月の休業の中、少しずつ慣れないテイクアウトやデリバリーへのトライ・アンド・エラーを繰り返しながら、多くの店が準備を始める。
そんな中、2020年4月8日の12時、いち早く『のんのからあげ』がオープンする。
初めて出逢うお客さんたちをリピーターへ
「オープン初日はバタバタしたけど、たくさんのお客さんが来てくれました。そのほとんど、7割以上が初めてのお客さん。夕方には、からあげも惣菜も売り切れになるものが多くて、嬉しい悲鳴でした。とりあえずは、手応えバッチリ。
でも、だからこそ、テイクアウトに全力投球しようと思ったんです。1カ月後も商品が魅力的でリピートしてもらうためには、その場しのぎでは続きません」(安住シェフ)
これまで2年ほど続けてきた、居酒屋『あんちゅう』に来てくれる常連たちは、ほぼ40代以上。レストランの時間を楽しむことができる大人たちばかりだ。安住シェフの和食と、中澤(泰徳)シェフのイタリアン。選び抜かれた日本酒と自然派ワイン。誰もが、そこでしか出逢えない大切な時間を過ごして帰っていく。
「きっと、子どもがいるお母さんたちにとっては、敷居が高くて、入りづらいイメージがあったんじゃないかと思います。それを解消して、一歩お店の中に入ってもらうためにはどうしたらいいか? 2人で色々考えた結果、まったく別の店を新規オープンさせるという結論に達しました。『あんちゅう』ではなく、あくまでも『のんのからあげ』。『あんちゅう』の影を出来るかぎり無くして、近所のお母さんたちの日常にスッと溶け込んでいく…」
自由が丘『モンド』や代官山『ファロ』など、現代の東京を体現する名店を通過して来た中澤シェフ(写真上)にとっても、テイクアウトは初めてのチャレンジ。でも、今まで繋がることがなかった未来の客たちに、新しい橋を架けることができるかもしれないと考えた。
この暗闇の季節が、不安だけでなく、新たな気付きや出逢いをもたらしてくれるかもしれない。
まったく別の店としてのスタート
『あんちゅう』から『のんのからあげ』という、まったく別の店・業種に躊躇なく業態変更したのは、経験した事のない有事に生き残るための手段 。もちろん、それは以前から計画していたヴィジョン。ただ、少しスタートが早くなっただけだ。
長く、長く、まるでゴールが見えないマラソンを走り続けるには、新しい走り方が必要だった。
「『あんちゅう』の色はいっさい見せない。お酒も出さない、高い料理も出さない、イートインもやらない。とにかく、『あんちゅう』でしていたことはことごとく封印する…。いちばん重要だと思うことは、何をやるかじゃなくて、何をやらないかだと思いました」
安住シェフの言葉に、微笑みながら中澤シェフが付け加える。
「新規のお客さまの多くは、『あんちゅう』がなくなって(潰れて)、新店舗ができたんだと思っています」
とりあえず、2人の1つ目のミッション、まったく別の店にするというチャレンジはクリアされた。
テイクアウトを始めるにあたって、安住シェフが考えた8つの誓いがある。
①《感染しない》
②《感染させない》
③ 自店の継続のために上記を破らない
④ 自分と自分の大切な人は自分が守る
⑤ 国、都、その他の人を頼らない、期待しない
⑥ 今、そしてコロナ終息後の未来をイメージし【事前の一策】を常に取り続ける
⑦ 自分の愛する人すべてが幸せでいられることを心から願う
⑧《どう自分の『店』を守り、生き残るか》
かくして、代々木上原の新しい名店『のんのからあげ』は走り始めた。
暗闇の季節を好機に変えるチャレンジ
ロックンローラーを目指して上京し、都内の数々のライブハウスで演奏した安住シェフ。当時、音楽仲間だった友は、今も音楽界にいて、たまに対バンもしていた。ライブやスタジオが閉鎖されている今、友もまた、同じ季節を送っている。
鳥取から東京へ、ミュージシャンから板前に、いくつもの河を越えてきた安住シェフには、大好きなダーウィンの言葉がある。
「古来、地球上で生き残って来た者は、力のいちばん強い者ではなく、いちばんうまく環境の変化に対応できた者だ」
2年前のスタート以来、『あんちゅう』はいつも右上がりに売上げを伸ばして来た。毎日、20名から25名以上の客が来て、満員で(お客を)お断りする日も多かった。
事実、(コロナ直前の)3月も上り調子で、このまま予約困難店になるかと2人とも考え始めていた。
「そんな中、いきなり2週間分のキャンセルが入ったんです。小池都知事の会見の後から、人がパッタリ来なくなった。この時代に、僕らの店みたいな弱者がどうすれば生き残れるか? そう考えた時、以前から準備していたアイデアを実行するチャンスだと思った。今のこの季節を好機だと考えて、徹底的に攻めようと決心しました」(安住シェフ)
からあげは1日10kgから18kgほど出て、毎日売り切れた。だし巻きなどの安住シェフの和食、中澤シェフのビーツのサラダやキャロットラペ。一般家庭では難しい、プロならではの惣菜も静かなブームになった。
そのどれも、200円からのリーズナブルな価格で並べている。
「今から15年以上前、初めて安い居酒屋を任せてもらった時、350円のビールと200円代のおつまみを出して、毎日楽しくやっていた頃をなんだか思い出しました。(仕事の)本当のやりがいと対価についてもう1度思い直すことを、今(この時期に)教えられるなんて複雑な気持ちです」(安住シェフ)
日々、増加していく一見(いちげん)客とリピーターの中、生産効率を上げるため厨房のリニューアル。膨大な量のからあげに対応するため、業務用のフライヤーも入れた。
からあげと惣菜に加えて、「のんのランチBOX」も作り、好調に数を伸ばし始めた。
しかし、『のんのからあげ』の勢いはそれだけでは止まらなかった。
多業種の店が並ぶフードコートへ
5月末『DORIA de UEHARA(上原ドリア)』、6月頭『中澤酒店』をオープン。
『のんのからあげ』は、いくつもの店が並ぶフードコート型・テイクアウト専門・シェアキッチン施設として、新しい走行を開始する。
『上原ドリア』は、山形県産米「つや姫」を使った香草バターライスに、山形牛100%のミートソースと、たっぷりのホワイトソース、焙煎パン粉、グラナパダーノチーズをかけた、新しく、どこか懐かしいドリア。和食の匠から生まれた「からあげ」に続く、イタリアンの匠からのメニューだ。
『中澤酒店』については、さらに深い中澤シェフのエピソードがある。
「実はもともと、鳥取県の片田舎にあった(中澤)酒屋の息子なんです。小さい頃から農作業を終えた人たちが、家に帰る前にちょっと一杯、角打ちで飲んでいく、お酒のある風景を見て育ちました。
お酒が生み出す、どこか特別だけど、限りなく日常な時間を、いつも子ども心に感じていました。
成人になり、イタリア料理を学んで、今まで経験したことのなかった素晴らしいワインと共に、たくさんの出逢いがありました。
人と食事とワイン、それがごく普通の生活と疑いもしなかった時に、突然ウイルスがやってきた。
コロナ後、人の食卓のシーンも歴然と変わってしまいましたが、これからの様式の“町の酒屋”として、三代目『中澤酒店』をオープンさせます。期限付きのお店となりますが、まず『家庭』という小さいコミュニティから、いつもおいしいごはんと共にあるワインを、手軽に、ぱっと選んで買って帰れるお店にしたいと思います」(中澤シェフ)
『中澤酒店』はかつて『あんちゅう』の個室だった扉の奥に、ひっそりと開店。個室そのものが、良質なウォーキングセラーとなっている。子どもたちも楽しみにやってくる、からあげ屋の店先に酒の瓶を並べたくないという配慮から、店の個室をセラーにした。
中澤家の実家で実際に使われていた看板や、藍染のノヴェルティなどがイタリアンワインの木箱に飾られた店内は、自然派ワイン好きにはたまらない、日本とイタリアの貴重なワインが見つかる。
2人のポジティブな挑戦はまだまだ続く
今後『のんのからあげ』では、フードコート型シェア店舗として、さらに1業種・1組の参加店舗も募集している。「あんちゅう(仮)」という商業施設(店舗)にテイクアウト専門の店を並べ、「集客増」、「家賃などの固定費削減」、「他店舗制による競争心の増加」、「間近で他の仕事を見る知識の増加」などのプラス要因をポジティブに作り出したいという目論見(もくろみ)だ。
それはつまり、vs.コロナ時代の飲食店のあり方を探る実験的なチャレンジ。世の中が変わり、需要が変わり、飲食店のあり方も変わる時代の先見的なナビゲーションになりそうだ。
「日常が非日常になり、明日のスタンダードが誰にも分からない時代だからこそ、チャレンジできることがたくさんあるはずです」(安住シェフ)
疾走する音楽の鉾先(ほこさき)で明確なリズムを刻む鋭いギターのリフみたいに、力強く駆け抜ける安住シェフに、温かく安定したベースラインを重ねる中澤シェフ。
走り出したハイウェイの先がどんなに深い暗闇でも、2人のロックンロールは鳴り止まないだろう。コロナというブルースの向こうには、きっと眩しい明日が待っているはずだ。
のんのからあげ(あんちゅう)
- 電話番号
- 03-6804-8990
- 営業時間
- 11:30~14:30 、15:30〜19:00
- 定休日
- 月曜日
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