幸食のすゝめ#103、夢の器には幸いが住む、広尾
「おめでとうございます」「酒井さん、開店おめでとう」
入ってくる人たちがみんな、口々に店主の酒井(英彰)さんにお祝いの言葉をかけている。
今日訪れた人たちはみんな、渋谷の『酒井商会』で料理と店の雰囲気に惚れ込んだ酒井ファンたちに違いない。
そして、きっと長いウイルスの季節の中、酒井さんの新店オープンを心待ちにしていた人たちばかりだろう。
そうでなければ、渋谷川のほとりにひっそりと立つ看板がない『創和堂(そうわどう)』(写真上)までたどり着けるはずがない。
いつも人にサプライズを与えたい
渋谷警察の裏手にある雑居ビル、不安な気持ちに包まれながら怪しげな階段を昇ると、忽然と現れる大人のための正当な居酒屋。それが2018年のオープンと共に予約が取れない人気店になった『酒井商会』(写真上)だった。
『創和堂』では、エントランスを入ると現れるバーが今回のサプライズになっている。
「バーを作ることは、最初からのアイデアでした。
この前、去年の秋くらいに書いた手書きの平面図が出てきたんですけど、そこにもちゃんとバーを書いていた。いつも何か、サプライズを作りたいと思ってるんです。
最初入って行くとバーがあって、『あ、バーなんだな』と思って、奥を開けると大きなカウンターの端正な和食屋が出現する。それって、きっと人を連れて行きたくなると思うんです。
少し緊張しながら席に着けば、肩肘張らず、カッコつけず、お風呂のようにリラックスできる空間が広がっている…」
常に満席で予約が取れない店になった『酒井商会』、入れないお客さんたちのためにもっと広い店をやりたい。2号店の構想は2019年の夏くらいから考えていた。
しかし、大箱店を作りたい理由には、もうひとつの大切な想いがあった。
大きな店にかけた想い
「『酒井商会』だと店全員が精鋭という感じで、おまかせで出されるメニューにワインをペアリングしたりする。いわば、店と客が1対1みたいな世界だと思うんです。僕がいつもメインで料理をやってるから、僕がどかない限りは、次の出世の妨げになって、二番手のコは上に上がれない。それでは、どうしてもモチベーションが上がらないし、経験を積むのも難しいと思うんです」
酒井さん自身、フレンチを皮切りに色々な業態で修業している中で、理想のカウンター割烹に出逢い、店主の修業先だった飲食グループが経営する大型店『並木橋なかむら』で和食の基礎を学んでいる。
「まだそんなに経験はないけど、とにかく頑張りたい。頑張って、将来は自分の店を持ちたい。そんなコたちが育って行く場所を作りたかったんです。それには大きい店しかないと思った。
ここだと、揚げ場、焼き場、煮方、刺し方とあって、役割分担も分かれているから人を育てやすい。そこで成長して、『酒井商会・創和堂』から独立して、自分の城を築いて行く。そういういい人の流れができたらいいなぁと、ずっと考えていたんです」
酒井さん自身も『並木橋なかむら』での経験から、少し大きめの40〜50席くらいの店には慣れていたし、オペレーション的にも回していける自信があったと言う。
「最近の傾向として、2軒目を出す時には小さくしていく傾向があるんです。やりたいことを、もっと深掘りしていって、客単価を上げてちっちゃくしてやってみたりとか…。でも、僕は逆に大きくやりたいなと思ってた。それはやっぱり、人を育てて行きたいと思ったからです。コロナという大変な時期に、やがては独立したいという想いで頑張ってる人に出会うと、少しでも力になりたいと思う」
仕込みを続けながら想いを伝える酒井さんの後ろでは、若い女性スタッフがお通しに出す「おきゅうと」(写真上)の準備をしている。エゴノリという海藻から作られる、福岡ではおなじみの食材だ。
突然、仕込みの手を休めて、酒井さんが背後の女性を紹介する。
「このコは、将来1人で燗酒と小料理の店をやりたいっていう夢があって、おとといも『小料理kokoro』に行ってきたんです。有澤さんの『ル ジャングレ』にいた舞ちゃんの店です」
彼女に聞かれて僕も、(越野)舞ちゃんと同じように女将が店を回している名店、学芸大学の『外海(そとめ)』を教える。他のスタッフたちもみんな、一国一城の主人(あるじ)を目指していると言う。
最高の食材で九州の味覚を
『酒井商会』と同じく、『創和堂』の料理も店主の出身である九州食材による九州料理がメインだ。今回の開店に向けて、さらに吟味した食材を得て、酒井さんの包丁が冴え渡る。
「今回メインとして、魚は天草と唐津から、特に唐津は結構とってますね。有名な寿司屋の『つく田』のお隣りにある大山くんのとこから、三代目が僕と同い年ですっかり意気投合したんです。
器も唐津の作家さんで、天平窯の岡晋吾・さつきさんご夫妻に、60点くらい焼いてもらいました。白磁が得意な方で、器好きのファンの間ではゴッドハンドと呼ばれているみたいです」
長崎県佐世保で生まれ、西有田町で独立した陶芸家の岡さんは、2003年から唐津浜玉町に移り住み、李朝の白磁や、古伊万里の染付を意識しながら時代の空気に寄り添う独自の磁器を焼き続けている。
唐津市の中心、かつては露天が並んでいた中町にある『大山鮮魚店』の三代目 、大山(拓朗)さんは放血神経絞めの天才として知られ、全国だけでなく広くアジアのプロたちにも「手当て」を施した魚を届けている。
意気投合したのは、唐津の魚屋だけではない。手つかずの自然が残る宮崎県児湯郡の尾鈴山で黒岩牧場を営む黒岩(正志)さんとの出逢いもあった。著名な焼酎「山ねこ」や「山翡翠」を作る尾鈴山蒸溜所がある場所としても知られている。
「『黒岩土鶏(くろいわつちどり)』、地鶏じゃなくて土鶏なんです。鶏は具合が悪くなると土を食べて自分の体調を整える。その食べてる土が、『山ねこ』みたいな純粋な焼酎ができるほどの土地だから力強いし、肉質が全然違うんです。サファリパークみたいな黒岩さんの山の中にある家で、その場でBBQして食べさせてもらったら、もうめちゃくちゃおいしい。1羽で買ってるんで、わら焼き、つくね、唐揚げ、水炊き、白湯(パイタン)スープと色んなものに使っています」
外食が持つ楽しさを届けるために
『創和堂』の物件に出逢ったのは2019年の11月、すぐに気に入って12月には契約。今年の3月終わりか、4月初めには開店するつもりでいた。新店スタッフの募集を始めて、いちばん早い採用は年明けから始まり、少しずつ増えて、4月にはスタッフが固まった。しかし、その最中、ウイルスの季節がやってくる。店主は開業前のスタッフの給料を払い続けながら、テイクアウトとデリバリーを頑張り、店(酒井商会)も知り合いだけの貸し切り制で継続し、開店の時期を待った。
「本当はコロナになる前に考えたコンセプトだったんで、“人の和を創る”っていいなぁと思ったんです。窓辺のテーブルはシェアテーブルなんで、知らない人と相席になったりする。『酒井商会』では、銘々に小分けしてお出ししていた料理も、ここではシェアスタイルでやりたいなと思ってた。人が集まることで起きる空気感というかグルーヴみたいなものを、みんなで共有したい。それが、外食の醍醐味だと思うんです。
もちろん、現在の状況を考えて取り箸を必ず用意するようにしているし、実はここ、向かい合った席は1つもないんです。カウンターはすべて横並びだし、シェアテーブルも一切向かい合ってない。しかも広いし、ダクトは超強力」
酒井さんの言葉通り、レストランや外食が持つ至福、しばし忘れかけていた幸福感が誕生したばかりの『創和堂』にはたくさん肩を寄せ合っている。
それは僕ら客側だけでなく、おきゅうとを仕込んでいる女性、イカ焼売をこしらえる男性、ソムリエと一緒に発注を進めるスタッフたち、そして何よりも店主の酒井さん自身からも溢れている。
和気藹々と働くスタッフたちほど、酒と料理を進ませるものはない。
九州の海でサーフィンに明け暮れた少年は、ワーホリ(ワーキングホリデー)でオーストラリアに渡り、フレンチシェフを志した。一転して、フレンチから和の道を目指し、一軒の店との出逢いからカウンター割烹という大人の酒場を目指す。独立を期してから10年、酒井さんが自分の城を築いたように、ここからはたくさんの人たちが力を蓄え、技を研削して、羽ばたいて行くだろう。
『創和堂』は彼らの夢を抱き締める大きな器なのかもしれない。
夢の器には、幸いが住んでいる。
【メニュー】
・いか焼売 1,000円
・九条葱と黒岩土鶏の水炊き 1,500円
・鰻ざく 2,000円
・熊本梅山豚炭火焼 2,000円
・黒岩土鶏の藁焼き 1,300円
・雲仙ハムカツ 450円
・鮎と新じゃがの山椒春巻き 1,000円
・帆立と桃、チコリのサラダ 1,300円
・鰯のぬかみそ炊き 600円
・漬物盛り合わせ 650円
・五島うどん 400~450円
・土鍋ごはん 2,500~2,800円
・グラスワイン 800円~
・ボトルワイン 5,000円~
・ビール 生中650円 / 生小400円
・サワー類 650円~
・日本酒 900円~
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。また、価格はすべて税抜です
創和堂
- 電話番号
- 080-8040-4822
- 営業時間
- 月~金 17:00~24:00(L.O.22:30)
- 定休日
- 日曜、不定休
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※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。